置いてゐる。保坂三平と芥中介の二人だけが、あいつは背延びをしてやうやく一人前らしい絵をかいてゐやがるなどゝ言つて罵倒するけれども、外の連中はなんとか陰では言ふものゝ十分の一目ぐらゐは置いてゐる。それも時間の問題だ。酒はすべてを平等にする液体なのである。
 そのとき台所の方に大きな物音が起つた。物の倒れる響、女の悲鳴、皿の割れる音。
「男らしくもないね。さすがに男の出来そこなひの三文詩人だ。今度は向ふ脛をお見舞ひするから覚悟はいゝね。ものゝ一ヶ月は窓の外の景色も見られなくなるよ」
 と叫んでゐるのは信助夫人で、相手の声はきこえない。スハと一同が立上つて駈けつけてみると、信助夫人は鳶口《とびぐち》を下段に構へてヂリ/\とつめより、片隅には芥中介が一斗釜を楯にしてボクシングに身構へてゐる。信助夫人には余裕があつたが、中介はすでに連戦連敗の相をとゞめ、顔は凄惨な敗色によつて歪み又衰へ、息づかひは荒々しく乱れてゐる。信助夫人との間には三間ほどの距離があるのに、目をとぢて、右のアッパーカット、左のフック、左右のストレート、なにぶんフットワークを忘れてゐるから勢ひ余つて前によろめき、よろけたハズミに
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