火星人といふのであるが、この渾名は好意的な解釈であるから、つまり彼は友達にだけは精神内容の豊富な点を認められてゐるのであつた。尤も彼の奥さんは猛烈なる信助ファンで、彼に表現の才能がめぐまれてゐるなら世界一の文豪になつたであらうと信じてをり、だから詩人の芥中介が口の悪い生れつきで臆面もなく「何だい、信助の頭は蛸の脳味噌と同じだよ。蛸が生ジッカ人間の本など読みやがるから、口をとんがらして飛んでもないことばかり口走りやがる」などゝ言ふから大変な喧嘩になる。
「なんだい、三文詩人」
「ヘヘイ、さればとよ」
中介は、女が相手でも子供が相手でも真剣に喧嘩をする性質《たち》であつたが、さればとよ、とか、さもあらばありけれ、などゝ不思議な咒文《じゆもん》を発するときは、戦意昂揚の証拠なのである。
「ヘヘイ、満場の諸君。余がつとに研究蒐集中の奇怪なる動物を公開するに当りまして、本日は先づ一匹の怒れる蛸の妻君を――」
突然音がした。中介は上衣を脱いで御丁寧に壁にぶらさげ、おもむろに部屋を歩いて演説中のところであつたが、部屋の中央にひつくり返つてノビてゐた。信助夫人が摺子木棒《アタリボー》をふりかぶつて
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