、どこだか分らず振り下したのが、どこだか分らず命中したのである。這般《しやはん》の立廻りの実況に就ては、他に目撃者がゐなかつたから、これ以上のことは分らない。
 信助夫人は良人《おつと》の店へ飛んで行つた。彼は駅前に本屋を開いてゐたのである。生憎なことに信助は新刊書を売込みに顧客廻りにでかけてをり、店の前には梯子がかゝつてゐて、梯子の上にはペンキ屋の親父が看板を書いてゐた。このペンキ屋は青眠洞主人と号する素人考古学者で、信助の親友であつた。
「あゝさうかい。あんな奴は当分眼を廻した方がいゝよ」
 と考古学者は梯子の上から返事をした。
「時に、丁度よいところへ来てくれたよ。実はね、あんたの処へ使ひの者をださうと思つてゐたところだよ。絵描きの朴水のところで婚礼があるさうでね、あいにく朴水のお母さんが病気ださうでね、料理人が足りないから応援たのむといふわけだが、見廻したところ子供のないのはあんた一人だけだから、直ぐ行つてやつてもらひたいね」
「オヤまあ、どなたの婚礼ですか」
「朴水さ」
「朴水さんは奥さんがお有りでせう」
「あゝ、あの奥さんの婚礼さ」
「あら奇妙ね。あの奥さんなら、もう年頃の
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