毎日何本飲んでくるか」
「僕は酒なんか飲まないですよ。焼芋を食べるだけですよ」
「フーム。オデン屋で焼芋を売るのか」
「いゝえ。姐さんが毎日たべるのです」
「いくらで売るか」
「タダですよ。本を持つてくれば幾つでも食べていゝと言ふのです」
「こんなに暗くなるまで焼芋をたべてゐるのか」
「いゝえ。お風呂へ行つてくるから留守番をしろと言ふものですから、それに僕は近頃憂鬱ですから、店へ帰りたくないです」
「あたり前だ。店の本をチョロまかして焼芋を食はされた時には人は誰でも憂鬱になるものだ。アッハッハ。これは面白い。よろしい。その店へ案内しろ。我々は本を差上げて酒を飲もう。お前は本を担いで行け。姐さんはどういふ本が好きか」
「それは純文学ですよ」
「ナニ。純文学か?」
「えゝ。低級な小説は読まないですよ。とても教養が高いです。僕がジッドやヴァレリイを選んでやるから、お前は目が高いと言つてゐるですよ」
「なるほど、お前は目が高い。本屋の小僧には惜しい男だ。アッハッハ。これは耳よりな話があるものだ。オイ、三平、我々は婚礼をやめて、文学オデン屋へ出掛けようや。世の中の片隅には飛んでもない処が在るものだな。オイ、小僧。お前は高級な本を選んで包め」
「俺はさういふ薄汚い話はきらひなんだ」と三平は抗議した。
「ちつとも薄汚くないぢやないか。さういふ考へだから、お前の小説はいつまでたつても風呂屋のペンキ絵みたいの贋物なんだ。人生の修業をしろ」
「俺は人生の修業はきらひだ。焼芋とヴァレリイの組合せが人生なら、俺は首をくゝつて別の国へ逃げて行かあ。そもそも汝富永秋水は保坂三平を何者と考へるか。余はもと混沌を母とし、風に吹かれて中空をとぶ十粒の塵埃を精霊として生れた博士であるぞよ。書を読めば万事につけて中道を失ひ駄法螺《だぼら》を生涯の衣裳となし、剣を持てば騎士となつておみなごのために戦ふけれども連戦連敗、わが恋の報はれたるためしはない。されば余は常にカラ/\と哄笑し、事あるたびに壁となつたり※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の卵となつて身を隠したり、痩せても枯れても焼芋とヴァレリイのカクテルから小僧のニキビを生みだすやうな下品な手品は嫌ひなんだ。エイ、者共、余につゞけ。嵐が近づいて来たぞよ。余は自ら一陣の風となつて宇宙と共に戦ふであらう。小僧よ。鐘を鳴らせ。貝を吹け。戦へ、戦へ」
こゝから事態がどうなつたか、之はもう誰にも分らない。
話は変つて、信助は新刊書の包みを背負つて、とある病院の外科の診察室へ這入つて行つた。外科の先生の南雲稔は読書家で、新刊の高価な本を無雑作に十冊ぐらゐ買つてくれるからである。
「丁度良いところへ来てくれたな。今晩は手術もないし、今すぐ終るところだから待つてゐてくれ。夕飯を食はふぢやないか。待つのも手持無沙汰だらうから、手製の珍品を御馳走しよう。おい/\。例の品物をとりだしてくれ。患者の方は構はないから三文堂に御馳走を調合してやりたまへ」
そこで看護婦は二本の瓶と水差をお盆にのせて現れてきた。一本の瓶は薬用アルコールで、他の一本は何とかいふ風薬からこしらへた代用の砂糖水だと言ふのである。はからざるアルコールの出現に、看護婦がまた目盛のあるコップに薬と同じ要領で調合するから、信助はもう飲まないうちから奇妙な気持になつてゐる。見廻す四方は金属の医療器械と鉄のベッドとメスとピンセットの皿であるから、信助の想念はむやみにふくれあがり、表現に窮して全然喋る言葉がない。思ひつめた顔をしてアルコールを飲んでゐる。すると騒々しい物音が起つて、騒ぐ跫音、バタン/\といふ扉の音、金切声が入りみだれて湧き立つてきた。
「こゝは内科ですよ。いけない、/\。そつちは婦人科ですよう。どうしたの。酔つ払つてゐるの。そんなところで上衣を脱いぢやつて、アラ/\第一、この人は靴をはいてゐるよ。あなたはどこが悪いんですか。精神病科はこの病院にはありませんよ」
と一人の看護婦が叫んでゐるうちに、外科室の扉が押しひらかれて、蒼白な顔をした芥中介がフラ/\と扉につかまつて崩れこんできた。彼の最初に発した声は「やられた!」といふ一語であつた。
南雲稔はかねて芥中介の詩を愛読して一個の鬼才を認めてゐたから、町では名題のこの悪童を相当なる敬意を払つて遇してゐる。けれども中介は人が才能を認めてくれるとそれが当り前だと思つてつけ上るばかりであるから、稔も一方に腹を立てゝもゐるのである。
「さては喧嘩をしたね」
「ジャコビン党の手先にやられた。あの奴らは暗殺の常習者だから、胸のポケットに毒針まで隠してゐやがる」
中介は鉄のベッドに縋りついて、全身からの太息をもらした。
「俺の命は明日の朝まで危いのだ。注射をたのむ」
「どこをやられたね」
「身体中を探してくれ。血
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