管の中も調べてくれ」
「どこで誰にどうされたのだ。見れば酔つ払つてもゐないぢやないか」
「ヤヤヤ」
 中介はこのとき鉄のベッドの後側に目盛のコップを握つてゐる信助を認めて、悲痛な叫び声をあげた。彼の蒼白な顔は絶望と驚愕のために紙の面のやうになつた。
「あゝ、余は敗れたり矣! お前はこゝへ先廻りをしてゐたか。敵ながら賢明なるジャコビン党よ。見かけによらぬ強敵だ。吾あやまれり矣! 敵の智謀を見損つてゐたのだ」
「はてね。君は信助君と喧嘩をしたのか」
「嗚呼《ああ》余は実に彼の女房の女ジャコビン党員に毒殺されたのだ」
「フーム。その毒は飲まされたのか、それとも注射か」
「分らない」
「なぜ」
「気がついたときは部屋のまんなかに倒れてゐた。全身が毒にしびれ、頭が火のやうに焼けてゐる。俺の命も今夜限りだ」
「どれ、お見せ」
 そこで稔は中介を裸にさせて全身をしらべ、舌をださせたり、目蓋の裏をひつくりかへしたり、最後に頭を調べて、中介が悲鳴をあげて飛びあがると、やうやく万事が分つたのである。
「女ジャコビン党員は後方から棒でもつて殴つたらしいな。さもなければ、何かのハズミに君がひつくりかへつて後頭部を打つたのだらう。相当な打撲傷はある。だが、傷ができて血も流れたから、大したことはない。テロリズムの被害のうちではカスリ傷といふものだらう」
 稔は中介の髪の毛を切り、わざと手ひどく痛む薬をぬりつけた。中介は歯を喰ひしばり、陰々たる苦悶の呻きをあげて鉄の椅子にしがみついてポロ/\と涙を流したが、泣きながら信助のコップを指して訊ねた。
「お前の飲んでゐるのは何か」
「薬用アルコールと風薬のカクテルださうだよ」
「俺にも飲ませろ」
「明日の朝まで命の危い病人がアルコールを飲む手もなからう」
 と稔がとめたが、中介は言ひだした以上はきかないのである。かういふ男は猛獣なみの生理と心得てよろしからうと、稔もあとは見ぬふりをしてゐると、中介は飲みほして、ハイ、お代り、看護婦を女給と心得てコップを突きだす。看護婦は怒つて振り向きもしない。けれども中介はいさゝかも弱らず、瓶を一つづゝ鼻にあてゝ嗅いでみて、心得顔に目盛に合せて注いでゐる。
「エッヘッヘエ。お前は何度ジャコビン党に殴られたか」
「俺はまだ殴られたことがない」
「アッ、さうだ。今夜は朴水の婚礼だ。今頃はみんなお前の店先へ集つて出掛ける時刻ぢやないか。出掛けないと遅れるぞ」
「そんな話はきかないよ。お前は脳震盪を起してボケたのだらう」
「さては、さういふ事の次第かな。然し、待てよ。青眠洞がたしかに廻覧をまはしてよこして、娘が持つてきた筈だが」
「だから、それが幻覚といふものなんだ。第一、朴水の婚礼などが有る筈があるものか」
 ウームと中介は目をまるくして考へこんでしまつたが、気を取直して景気よく飲みはじめた。けれども酔ひがまはるにつれて、彼の意識はいくらか常態にもどつてきた。吾は目覚めたり! と彼は叫んで突然立上つてゐた。
「朴水の婚礼は幻覚ではない。先づ我等は青眠洞を訪ねてみよう。さうすれば万事は分る。けれども、もし幻覚だとこのアルコールが残念だから、この瓶にかう蓋をつめて之をポケットに入れて持つて帰らう。このコップも目盛があつて便利な仕掛であるから、之は紙につゝんで手に持つて行かう。水はどこかのウチの水道があるから、之は多分いらないだらう」
 中介は手際よく始末して信助をうながして病院をでた。病院から青眠洞まで長い道のりであるから、二人は時々見知らぬ家の水道をもらつて目盛をはかつて酒もりをした。青眠洞の店の奥では幽かな燈火の下でオカミサンがスルメを焼いて子供達に食事をさせてゐた。中介は挨拶の代りにスルメをつまみあげてものゝ五分間もかゝつて呑みこんだ。
「このアルコールには殺気が含まれてゐる。メスの刃のしたゝりだ。スルメによつて、この毒を消すことができる」
「あんたは朴水さんの婚礼に行かないの」
「ヤ、ヤッ。見よ。まさに、それだ! さあ、停車場へ急がねばならぬ。とはいへ電車の時間があるから、おい、今度の発車は何時だ。電車の中のオカヅにはこのスルメが調法だから、之を紙につゝんで」
「駄目だよ。ウチのオカヅがなくなるよ」
「俺のオカヅもなくなるよ」
 と中介は無理無体にスルメをポケットへねぢこんで、停車場へ向つて駈けだした。

 朴水の家ではてんで花嫁が顔を見せずに、然し、婚礼は盛大に進んでゐた。田舎の農家であるから燈火管制などは全然黙殺されて燈火は煌々とかゞやいてゐる。酒のために照りかゞやいた朴水は花聟の喜びに満悦して鼻ヒゲまでが生き生きと酔つぱらひ、一座の面々も大いに酔つてゐるけれども、まだ乱れてはゐないのである。之には多少の理由があり、朴水はともかく帝展の審査員であるから、一同も十分の一目ぐらゐは
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