武蔵野に展かれた俺の窓から、脂ぎつた顔のニタニタをぬつと現す。
 ――愛する友よ、寒さは人間の敵だねえ。彼等はかつてナポレオンをオロシヤに破り、転じては若きエルテルの詩人を伊太利に送り、澆季《ぎょうき》の今日に於ては鈍愚利の尊公をも酒倉へ送らうとする。人間はかくの如く常に温かくあるべきぢやよ。その意味に於て尊公の心に萌し出でた本能の芽は聖なる鉢顛闍梨《パタンヂャリ》の三昧に比していささかも遜《ゆず》るところを見出しがたいのぢやよ。※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《オーム》※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《オーム》、(箆棒《べらぼう》め)といつたものぢやよ。
 と言ふのだ。
 俺は憤然として何事かを絶叫しやうと思ふのだが、うかつに絶叫しては頤のゼンマイから必然的に頭のゼンマイへかけて狂ひ出す怖れを感じるものだから、絶望的なニヤニヤを笑つて行者のニタニタを眺めてゐるのだ。すると俺の心臓はひどく憶病になつて次の一秒がばかに恐ろしく不気味に思はれ、沈黙に居堪《いたたま》らなくなり出すから、もうおさへ切れずにわあつ――と叫ぶと――
 一つぺんに階段を跳び降りて雨戸を蹴破ると、もう
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