―木枯は、恰も俺の活力を刺し殺すやうに酒倉のペンペン草を枯してしまふのだ。すると俺は――
ああ! 俺は冬が大嫌ひだあ!
冬は――俺の心をさむざむと白く冷くするのぢやよ。寒気は俺の脳味噌をも氷らせるのだ。俺の一切の運転はハタと休止して――俺はペンペン草と一緒に、ここに果敢《はか》なく枯れ果ててしまふのだ。顔色はいふまでもなく蒼白となり、目は鈍くかがやき、脳味噌は――脳味噌といふ代物を余はひどく怖れるよ――脳味噌は、氷りついて動かないのだ。そこで俺は様様な手段を講じてぜひとも脳味噌を動かさうと勉めるのだ。俺の目はいみじくも光り輝き、額は痩せくたびれて、頭は唸りを生じ、俺は――ほがらかに気狂ひになりさうな気がするのだ。俺の唇は酒を一滴も呑まぬのに呂律も廻らなくなつて、ワハ、オモチロイヨ、などと言ふのだ。こんな風にして、俺の身体は何かガラスのやうな脆い物質から出来てゐて、どこかしらん一寸でも動かしたが最後ピチピチと音がしてわれちまふやうな気になる。舌を出してさへゼンマイがくづれさうな気がするから(ああ、舌が出してみたいねえ)笑ひたくてたまらないのだが――俺は断じて笑はんよ。武蔵野に展かれた宿の窓から、俺は時々頸をつき延して、怖るべき冬の情勢を探るのだ。すると、見渡す視野がばかに広茫と果もなくひろがつてゆくのに、その都度|瞠若《どうじゃく》として度胆を失つてしまふのだ。冬の広さを見てゐると、俺は俺の存在が消えてなくなるやうに感じるものだから……
……こうして、木枯のうねり[#「うねり」に傍点]が亦一とうねり[#「うねり」に傍点]強くなると、俺はつい堪りかねて、ふつとあの酒倉を、思ひ出してしまふのだ。憎むべき酒よ、呪ふべき酒樽よ、怖るべき冬よ、う、ぶるぶるよ。俺の恋心は果もなくつのつて、俺の魂はいつの間にやら木枯の武蔵野を一ととびに、酒倉の戸の隙間から悪魔風な法式でふいとあの酒倉へもぐり込んでしまふのだ。すると酒倉の亭主は――
(ああ、彼の不愉快な幻術は、如何に俺を悩ますことか!)
――おもむろに觴をひねくりながら、まぎれ込んだ俺の魂をてもなく見破つてしまふのだ。彼は脂ぎつた太くまん丸い顔をニタニタと笑はせる、そしてグイと一杯呑みほすと、いやに取り澄まして、やをら得意なる背亀坐《ウッターナーサナ》を組み、おもむろに調息するのだ。見給へ――彼は分身の術を用ひて、さむざむと武蔵野に展かれた俺の窓から、脂ぎつた顔のニタニタをぬつと現す。
――愛する友よ、寒さは人間の敵だねえ。彼等はかつてナポレオンをオロシヤに破り、転じては若きエルテルの詩人を伊太利に送り、澆季《ぎょうき》の今日に於ては鈍愚利の尊公をも酒倉へ送らうとする。人間はかくの如く常に温かくあるべきぢやよ。その意味に於て尊公の心に萌し出でた本能の芽は聖なる鉢顛闍梨《パタンヂャリ》の三昧に比していささかも遜《ゆず》るところを見出しがたいのぢやよ。※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《オーム》※[#「口+奄」、第3水準1−15−6]《オーム》、(箆棒《べらぼう》め)といつたものぢやよ。
と言ふのだ。
俺は憤然として何事かを絶叫しやうと思ふのだが、うかつに絶叫しては頤のゼンマイから必然的に頭のゼンマイへかけて狂ひ出す怖れを感じるものだから、絶望的なニヤニヤを笑つて行者のニタニタを眺めてゐるのだ。すると俺の心臓はひどく憶病になつて次の一秒がばかに恐ろしく不気味に思はれ、沈黙に居堪《いたたま》らなくなり出すから、もうおさへ切れずにわあつ――と叫ぶと――
一つぺんに階段を跳び降りて雨戸を蹴破ると、もう武蔵野の木枯を弾になつて一条にころがつてゐるのだ。
わあ!
助けて呉れえ、冬籠りだあ!
と、かやうに声高く武蔵野を喚きながら、俺は酒倉の戸を踏み破つて――
(俺達の酒倉では二十石の酒樽から酒をのむのぢやよ)
――二十石の酒樽を抱きかかへるやうにしてグイグイ、ぐいぐいと酒の灰色を一息に(茨ぢやよ)あほるのだ。木枯がペンペン草を吹き倒すとき、俺は毎年もとの酔つ払ひに還元してしまふのだつた。
こうして俺、聖なる呑んだくれは、武蔵野の木枯が真紅に焼ける夕まぐれ足を速めて酒倉へ急ぐのだが――すると酒倉の横つちよには素つ裸の柿の木が一本だけ立つてゐるのだ(君は勿論知るまいが――)。この柿は葉が落ちても柿の実の三つ四つをブラ下げて、泌むやうな影を酒倉の白壁へ落してゐるのだが――俺は毎日このまつかな柿の実へ俺の魂を忘れて、ふいと酒倉へもぐるのだ――と、こう思ふのがせめてもの俺の口実なんだ。だから俺は安心して、あれとこれとは別物だけれど、まるで魂を注ぐやうに、酒樽にとびかかると、ぐいぐいぐいぐいと酒を魂を呑んぢまふんだあ! 概して俺はこの酒倉で最もへべれけに酔つ払ふ男の唯一人で、酒倉の階段を踏
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