加十は生きてる時から左手のヒジから下がなかったのだと考えてみることができましょう。犯人は加十を殺す目的を果したが、その死体に左のヒジから下がないと分れば、顔を斬りきざんで人相をごまかしても身許がさとられやすい。そこでそれをごまかす方法を施すとすれば、全身バラバラに切断して、その一部分がついに現れてこなくともフシギではないと思わせること。即ち元々なかった部分が現れないのは当然ですが、それが存在しなかったせいではなくて、他の理由によってその姿を地上から失うことがフシギではないと思わせる手段を施すに限るでしょう。このバラバラ作業の状況から判断すると、一応この想定を立てることは許されてよかろうと思われます。これほどコマメにバラバラにしておきながら、二ツまとめて一包みにしているなぞは甚だ奇妙で、要するにコマメにバラバラにしたのは小さくして別々に運んで棄てる便宜のためでないことは明らかですね。そしてただ細かくバラバラに切断するということに目的ありと仮定することが可能で、そのバラバラの目的としては、つまり肉体の一部分が失われて現れてこなくともフシギがられぬ状況をつくることです。死体をバラバラにする理由として、とにかく不自然ではない。又、これは、甚だ消極的な蛇足のタグイかも知れませんが、かのトンビの天狗、つまり加十その人ですが、彼に六回も面識を重ねた女中たちが、その天狗の腕があるかないかは今も答えることができないのです。なぜなら、天狗は室内に於ていつもトンビを着たままションボリ坐っているだけで、女中たちは毎年例外なくトンビ姿を見ただけだからです。そして、トンビの下に腕がないということは誰もそれを証明することはできませんが、また反対に、腕があるということを証明することもできません。また勘当されてのち片腕を失った加十がそれをトンビで隠したがる心境を考えても不自然ではありますまい。それらを考え合わせて、加十の特徴とは左ヒジから下がないこと。こう結論して、私は思いきってバクチをやったのです。私はお直さんを訪ね、加十さんの勘当中の友だちであると自己紹介しました。その私が加十さんの特徴を知ってるのは当然でしょうから、加十さんの左腕がないのは万人衆知の事実としてこれを話題にとりいれ、お直さんがイエスかノオかの反応を表さざるを得ない話術を用いたのです。するとお直さんの反応はアッサリとイエスでした。
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