また私は京都でも加十と遊んだ、大阪でも、名古屋でも、横浜でもと誘導することによって、お直さんが加十の家を訪ねたのは横浜であると突きとめましたから、平作が加十を転居せしめてもそこから遠くはなかろう。横浜近辺か東京だろうと、横浜でまず行方不明者の届けをさがすと、そこにチャンと加十の該当者がありましたよ。加十のヨメのカヨさんの居所を突きとめてさっそく会いました。そして疑惑としていたことをたしかめてみると、まず第一に、平作が転居を命じたときには彼自身が横浜へ現れて指図したこと。またその彼と一しょに来て事の処理に当ったのは、当時の秘書たる人見と、まだその時に二十の見習い代言の小栗能文とでした。そのとき平作は毎年の杉代の命日に上京を命じ、そのとき一年ぶんの生活費を与えると、約束しました。すでにそのとき居合わす一同の前で、改心を見届け次第なんとかしてやると言明したそうで、カヨさんに自分の身許を隠すような秘密くさいところもなく、六年前の再会の時から親子のヨリは半分以上もどっていたのです。いずれ加十がなんとかしてもらえることはその瞬間から既定の事実で、人見も小栗もそれを見あやまる筈のない出来事でした。ただ改心を見届けて、どの程度になんとかするのか、それだけが察しかねることだっただけなんですね。そんなわけで、母の命日に上京の加十はスッとハナレにもぐったきり人々に顔を見せなかったと云っても、特に秘密にする必要があってではなく、まだ表向きは勘当の故に遠慮するだけのことだったらしいのです。やがてノンキな石松にも母の命日ごとに兄の上京が分ったから彼は大いに混乱もしたでしょう。兄の勘当が許されると、相続者は兄で、彼はその一介の寄人《よりゅうど》にすぎなくなる。父の例に当てはめればその弟又吉は馬肉屋を開業させてもらっただけ。ムコの銀八は女郎屋をもらっただけ、鬼の才川平作の巨万の財産をつぐ身と、馬肉屋のオヤジの身とは差がありすぎますね。それを苦にして悶々と日をくらし、ヤケになって、放蕩に身をもちくずした石松であったかも知れませんよ。彼が相続の日を約束に高利の金を借りられるだけ借り放題にあさッているのは、ウップンの原因を問わず語りにあかしているようにも見られますね。さて私がカヨさんの居所をつきとめて会うことができて、つまり、石松が折ヅメをとどけた婦人から目当ての返答が得られなかった代りとして、カヨさん
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