から、これは一応除外しておきましょう。さて身体の一部に特徴ありとすれば、それはまだ発見されていない両眼か右耳か鼻か左手のヒジと手クビの部分か左のテノヒラか右スネでしょう。ところが右耳と鼻は顔にそぎ落されたアトがあるから、一応そこについてた物はあった。畸形の物にしても、とにかく一応ついていた。次に右スネは上の太モモと下の足クビ以下が発見されてるから、マンナカのスネだけ無かった筈はない。そこにイレズミとか傷アトぐらいは考えられるが、お直の目にわかる特徴だからたぶん着物の下に隠れる種類のものではありますまいね。すると、本来存在しなかったかも知れないものは両眼と、左手のヒジから先の指までの部分です。成人後の両眼失明なら遠路の一人歩きはできそうもないから、片目の失明とか義眼ぐらいは考えられるかも知れない。ちょッとした目立つ特徴と申せばいろいろと考えられますよ。ですが、ここで、この事件の特殊な性格と申すべきバラバラということを考えていただきたいのです。片眼の失明や耳や鼻の畸形や怪我を隠す程度のことに、関節という関節の全部にわたって一々こまかく切断する必要があるでしょうか。クビ、肩、ヒジ、手クビ、モモ、ヒザ、足クビ。これだけの関節を一々こまかく切るのは甚だ御苦労千万な話で、それに要する長時間の作業中には人に知られ易いかなりの危険がともなっていますよ。また労働時間の長短について考えると、両眼をえぐったり両耳と鼻をそぎ落す作業はその全部を合計してもものの五分間とかからぬ程度でしょう。すると、顔のどこかにゴマカシの主点がある場合に、顔の特徴を取り除き、またゴマカシの手を加えても五分間ですむのに、その御相伴として全身バラバラの大作業を加えて、わずかばかりゴマカシの引立て役とするのは、普通人のよくなしうることではありますまい。全身バラバラのこの手数のこんだ作業と、それに伴う危険を考えると、それ相応の必然性があるべきで、顔の造作をごまかす程度の目的のためにこれだけの時間と危険を賭けることは有り得ないと見るべきでしょう。そこで顔を除外すると、残った部分は、左手のヒジからテノヒラまでが最後に残る唯一の疑問の部分です。さて、この部分にどんな特徴が考えうるかと云えば、イレズミなどもあるでしょうが、尚それよりもバラバラ作業をほどこすに必然的な理由をそなえているのが、元々この一部分がなかったということ。
前へ 次へ
全30ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング