いました。彼が出獄した時こそは問題だ。彼は仏像をほりだして、今度はどう処分するであろうか、と。ところがですよ。彼が横浜で捕えられたとき、何だかワケの分らない書《かき》ツケ類の中に時信全作の所番地と姓名を書いたものがあったのです。それについて一色の言葉はこうでした。人の話で、この人が高価を惜しまず骨董を買う人だときいて書きとめておいたのだ、と。時信全作も一色に会ったことはないと証言した筈です。当時彼はまだ発病前の丈夫な身体でしたよ。私も好きな道ですから、このことは忘れておりません。もしも出獄後の一色がホトボリのさめてのち仏像の処分をするとすれば、時信全作のところへも当りにくる可能性は考えられる。それは当然の考えでしょう。ですから、私は五万円という金額の必要が時信全作に起ったのを知って、ただちにこのことを考えました。さては一色がいよいよ仏像をもって現れたな、と結論したのです。私はそれを確めに、午に一度、夕方に一度、ここへ来ました。しかし、それを確めることができないうちに、彼の死体を発見したのです。そして、五万円の有無は私に調べはできませんが、このコレクションの品々は一昨日までのものと変りが
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