子にはこの心境は無縁であった。そこで成子は考えていた。
「この初老の浮浪児は楽天的だが、ウワベに見せていることと、腹の底とは違っているようだ。川田に妖気があるなんて、つまらない。ナミ子に見える妖気なんて、ちッとも凄味はありやしない。やっぱり人を殺すのは静かなタダの顔ではなくて、オトメのような気違いがやるのだ。その一瞬間には、そうでなければならない。外科の先生が患者の片足をノコギリで斬り落すようなタダの静かな顔で人殺しはやらない。勤務時間中は一意精励マイシンしている鼻ヒゲ男が昨日に限って二時ごろから七時までヒルネをしていたのは奇妙だが、ほんとにヒルネしていたのかしら。この男は何かを偽っているに相違ない」
しかし、この時間には同時に成子もねていたのだ。そして彼女以外の女たちは、成子の疑問に答えてたちどころにこう証言したであろう。初老の鼻ヒゲ男は疑いもなくその時間には大イビキでねむっていた、と。むしろ成子がその時間に寝ていたことの方が人々には信じる根拠がない。十一時三十分にナミ子に叩き起されてから彼女が再びねたかどうかは誰も見ていやしないのだ。
新十郎一行は午すぎに到着した。
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