わぬオモムキがあった。
 庭木戸をあけてヒョイとはいってきた人物がある。見るとオトメであった。川田を認めてオトメは呟いた。
「朝から気ぜわしくッて、心配で、ジッとしていられないのよ。今日、あの部屋で誰か死ぬ人があるわよ。オイノリして死神を落してさしあげなくちゃア」
 陳列室を指してみせた。そして小走りに走った。川田が懐中時計を改めると、一時にちかい時刻だった。
「ノンビリと遊びすぎたぞ」
 彼は一同に挨拶もせずに馬車にのッて銀行へ戻った。

          ★

 月曜は日中いっぱい手の施しようがないほど習慣の行事が乱れてしまった。
 病人の昼食はトースト三片と紅茶で、大伍がその世話をしてやるのだが、控えの間に用意のパンはそのままに置きッ放しであった。
「コンコンとおやすみだから、今日はほッとくがよい」
 大伍は習慣にこだわらなかった。ナミ子もこだわらなかった。ナミ子は助手で、看護人ではないのだから、根をつめて控えの間に詰めきる必要はない。日中は大伍の勤務御時間だ。ナミ子は自分の昼食に下りて、その後は概ね女中部屋にいたが、ふと大伍の部屋の前を通ったら、彼の大イビキがきこえた。
 ナミ子は気がかりになって、午後は二度だけ二階へ登ってみたが、控えの間に大伍の姿も他の誰の姿も見かけなかった。そして昼食のパンは夜がきても卓上に置かれたままであった。
 夕方の七時になった。夕食の用意ができた。大伍はようやく寝ぼけ眼をこすッて起きてきたから、
「私が旦那様に御食事を差上げます」
 と大伍のカギをかりで、二階へ夕食を運んだ。日中は誰も便器も見てあげなかったようだから一パイつまって臭いかな、と案じながら、まずドアをあけて燭台をかかげて病人のゴキゲン偵察に中をのぞきに行った。これから夏になるとだんだんウミの臭気がひどくなる。便器の臭気やらウミの臭気やらで、広い陳列室が充満してしまうのだ。
 病人は変なカッコウをしてねていた。背中をまるめてフトンをひッかぶっている。まだお休みかしら? お疲れだろうから、とナミ子は思った。近づかずに、ナミ子はそッと戻ってきた。病人が目をさましてオルゴールの合図をするまで待つべきだと考えたからだ。大伍が来て指図をするまで、自分の一存で病人の眠りを妨げるのは慎しむべきであろう。こう考えて、ナミ子は控えの間に燈りを立て並べて待っていた。大伍は一風呂あびたり
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