エ夫人も雄一をつれて良人《おっと》の病床を見舞いに来た。もっとも雄一がねむたがるので、おそく来て、誰よりも先に去った。サナエの訪問はいつもそんな風だった。笑いを忘れた顔から病人を慰める言葉がでる筈もなかった。お義理だけだが、彼女の加入は一座をしめッぽくするというマイナスのオマケまでついていた。
 土曜の晩、月曜の早朝に五万円ひきだすからよろしく頼むということを全作が川田に云ったのを妙子はたしかに聴いていた。当時の五万円といえば、利子だけでも生涯中流の生活ができるほどの大金であるから、前もって了解を得ておかないと当日窓口が即座に支払ってくれないほどの金額でもあった。
 無尽蔵の金がある全作ではないはずだ。むしろ彼の財産は残りが多くはないはずだ。家族には分らなくとも、取引の銀行には分る。利殖の投資以外のことに五万円ひきだすとすれば大胆すぎることであった。ヤブレカブレの感なきにしもあらずであった。
「これで家族には一文の小遣いも与えたことがない人だとはウソのような話だ。ゲタをはき捨てるのが早すぎると云って、歯の根元まですりきれてから捨てることを執拗に要求してやまない人物と同一人の所業だとは信じられないことだ。ケチンボーというべきではなくて、家族の人格や値打を根元まで歯のすりきれたゲタの程度にしか認めていないことであろう。だが、ケチとは要するにそのことでもある」
 川田は家族たちが全作を嫌うのは尤も千万だと思った。彼もこの友人が好きではない。だが全作のコレクションには魅力があった。奴メが死ぬとコレクションはどうなるか。気にかかる大問題であった。数は多くはないが、粒よりの一級品であった。
 大伍らが午の食事中であったから、川田は座をはずした。陳列室の外側の廊下をブラついた。控えの部屋にナミ子がいたから、
「御主人のゴキゲンはどうだ?」
「熟睡していらッしゃいます」
「御主人の今朝のお買上げ品を見たかい」
「いいえ」
 女中には見せまい。川田は諸方をブラブラ歩いた。カギのかかっている部屋以外は遠慮なくのぞいて歩いた。庭へでて陳列室を見上げると、窓は全部閉じられていた。初夏にちかい陽気だというのに、真夏以外は概ねこうだ。窓をあけるとゼンソクにわるいという信条のせいにもよるのだが、空を吹く風には植物鉱物動物どもの雑な呼吸がこもっているから吸う人の胸壁をむしばむ悪作用があると信じて疑
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