った。妻はあるが、子がないそうだ。彼はもう五十すぎていた。自分の代で大ヤマト大根大神の血は絶えるであろう。系図や古文書が失われたのは、その時が来たからである。彼はそう語ったが、悲痛というか、鬼気せまるような悲しさが彼の身内にブツブツたぎっているように見えた。
「私どもの住居する東京に当イナリの神の矢で射殺された者が現れましたが、お心当りがありますでしょうか」
 新十郎がこう訊くと、天狗はくぼんだ目で新十郎はじめ一同の顔を眺めまわした。なんとなく警戒している様子であった。
「むかし神の矢で殺された男があった。大神様のミササギの中で殺されていたな。十一月十五日の例祭にオレは山上の社殿の前から八方に向って三十本の神の矢を放す。その神の矢がどこへ飛び去っていつ何者を射殺すか、それは神霊のお心である。神の矢の行方はオレには分らないな」
 天狗は数の知れた信者とつきあうだけで世間知らずの筈だが、非常に世故にたけた悪者の目に見られるような狡猾な智恵が宿っているように思われた。
「十一月十五日のほかの日に神の矢を射ることはありませんか」
「射ることはできない。三十本の神の矢はちょうどまる一年かかって出
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