じように、何かのタタリなぞは怖くもないし、とるにも足らぬ、という気質なのだ。生れつきの実利主義者であった。彼は羽ぶりのよい官員や大臣や大将なぞは子供の時から眼中におかなかった。地上の総てを動かしうるものは金である。金だけが万能だ。それが彼の考えだった。学問すらも不要なのだ。
彼は十七の年に自発的に学業をやめた。そして、京大阪へ呉服商の見習いにでた。二年間で商法を会得し、父の店で働きはじめた。
父の店はそれまで秩父と両毛の織物を扱っていたが、兄は京都に主点をおいた。買いつけも売りこみも、兄が一手でやった。大量の荷が送りこまれ、それがどんどん捌かれていった。
兄は自ら小僧たちを雇入れて教育し、指図してめまぐるしく活躍させた。彼の手で育てられた小僧は、彼が掛けたゼンマイ通りに動きまわる生きた人形のようであった。
父が出生地からつれてきて秩父や両毛の呉服物の買いつけに働いていた川根はまったく無用の存在となった。彼のノンビリした商法は兄の機構の中ではむしろ邪魔になる存在だった。彼は家事向きの番頭となり、店では用のない存在となってしまった。
父も持ち前の商才にたけてはいたが、田舎育ちのた
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