何かの根拠だけは有るかも知れんということを考えた人もあった。彼の祖神は大ヤマト大根大神だと云うが、この土地の由緒ある神社の一ツに長幡部《ナガハタベ》神社というのがあって、祭神は日子坐王子《ヒコイマスミコ》の子の神大根王だという古伝が残っていた。人皇九代開化天皇の子に日子坐王子があり、神大根王はその子で、三野国造《ミヌのくにのみやつこ》、長幡部連《ナガハタベのむらじ》等の祖であるということは古事記に現れている。まさにこの地の長幡部神社が神大根王を祀るという古伝は史料に合うが、オーカミイナリの大ヤマト大根大神が同一神だという証拠はどこにもない。
里人はオーカミイナリを信用せず全然相手にしないから、その古文書など誰も問題にしないが、オーカミイナリにとってはこれが焼失しては天下の大事であったろう。神主が怒り狂ったのは当然であった。
新十郎一行は当時の事情をよく知る村人に会ってその話をきいた。古老は語った。
「この郡に加治景村、蛭川真弓という二軒の大金持があったのですが、そのいずれも神の矢に呪われて亡びましたかな。本当に神のタタリなら怖しいことですな」
「すると神の矢に殺されたのは蛭川家の人々だけではないのですか」
「殺されたのは蛭川家の二人だけですが、加治という大金持が没落したのは、これも神の矢のタタリによるように村人に考えられておるのです。ちょうど御一新まもない頃のことだと思いますが、加治家の土蔵が破られて二十二個の箱づめの黄金が何者かに奪われたのです。そのとき、加治家の正門中央にオーカミイナリの朱の矢が突き刺されておりました。ひきつづいて悪い番頭が主家をだましたり、親類縁者に訴訟を起されて負けたり、そのために当主がヤケを起して諸事に手ちがいを来して、六七年のうちに大身代がみるみる没落という有様です。屋敷まで人手に渡ってよその土地へ持ち去られ、加治、蛭川の両富豪の屋敷跡はどちらもいくつかの土蔵がペンペン草の中に雨風にさらされて名残りを止めているだけですよ。加治景村と蛭川真弓は同じぐらいの年配ですが、加治景村はタタリの怖しさが身にしみてか、オーカミイナリの信者となり、オーカミイナリの山中にイオリを結んで木の芽草の根をかじって生きているそうです」
「土蔵破りの犯人はあがりましたか」
「それがあがっておりません。蛭川の番頭定助の場合同様、神の矢の犯人は捕われたことがないのです」
「そのほかに神の矢が事を起したことは有りませんか」
「私どもの知る限りでは加治蛭川両富豪の二件だけです。この二件はひきつづいて起ったもので、これは村の記録がありますから調べれば正しい日附が分りますが、たしか当時はこの郡が熊谷県と申すようになった直後、明治五年のことのように記憶いたしております。各村の社寺等の古文書を差しだすようにというお達しによりまして、庄屋の会合がありました折に、オーカミイナリのことまで考えたものはなかったのですが、蛭川さんがそれを言いだされまして、この機会に天狗の系図を見てやろうじゃないか。オレが直々借り出しに出かけるから、天狗が安心して古文書を差出すように官印のついた借用書を用意してくれというわけで、番頭の定助も従って行ったと思いますが、村役人の従者も二人ついて行ったのです。事面倒と思いのほか、全国的な古文書調査ときいて、天狗は大喜び、進んで多くの文書を貸し渡すような大乗気であったそうです。当人は先々代ぐらいの先祖が七八十年前にこしらえたニセ古文書とは知らずホンモノと思いこんでいるのですな。蛭川さんは自分の思いつきですから、読むのをタノシミにその古文書を自宅へ持ち帰った。蛭川さんの自宅は賀美村ですが、これは現在の児玉郡の東のはずれにあります。オーカミイナリは西はずれの秩父との郡界のところに在るのですから、郡内では一番遠い距離に当るのですが、それを物ともせずに出かけたのだから、大そうタノシミにしておられたのです。朝でて夕方にはもう目的を果して帰ってきたそうですが、蛭川さんの家では村の古老でそんなことの好きな連中が三四人集りまして、暗い灯に文書や図面を額に押しつけるほど近よせて、夜更けまでガヤガヤとたのしんだそうです。それがそもそものタタリの元であったようです。深夜まで客をもてなすための火を絶やすことができなかった。その火の不始末であったそうです。明方にちかく火事となって、大きな建物が夜の明けた時には灰となっていたのです。自宅の火事ともなれば、オーカミイナリの文書など考えていられませんから、そんなものの存在すらも忘れて荷を運びだしているうちに、むろんその古文書と称する物は灰となって地上の姿を失ったというテンマツなのです。これがモンチャクの発端です」
「その古文書は由緒ある物ではなかったのですか」
「田舎者のことですから学者というほどの者はおり
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