思いついたのだろう。加治さんの先例をきいたからだろうか」
 新十郎がフシギそうにこう訊くと、彼もフシギそうな顔附をして、
「そう云えば、ここへくると珍しがられないということをどうして思いついたかフシギだねえ。だが、オレの立場になった人は誰だって里に住むのがイヤになるね」
「他国へ働きにでることを考えてみなかったかね」
「考えたことは大ありさ。だが、その前にちょッとここを見物したいと思って来てみたら、住みつくようになってしまっただけさ」
「なるほど。それなら、よく分るよ。ここへ見物に来た時は、ここの神主が父を殺したと考えていたのだろうね」
「それほどのことは考えていないよ。だが、小さい時から父を殺したという神様にはなんとなく興味があったね。一度は見物に行ってみたいと思っていたね」
「思いきって見物にでかけるとは何かワケがあったのかね」
「なアに。オフクロが死んだからさ。一人ぽっちになったから、自分の思うことが勝手にできるようになったせいだけだね」
「なるほど。一々よくうなずけるね。お父さんが亡くなったとき、お前さんはいくつだったね」
「十二ですよ。小さな子供ではないから、その時のことは覚えていますよ。生きているオヤジの見おさめは、その日の夕方さ。いったんお邸から戻ってきて、たまに野良仕事をするときの百姓姿に着替えて出かけましたよ。今晩は帰らないかも知れないと云って出ました。お邸へ泊ることは度々ですが、百姓姿でウチをでたのは始めてのことだそうです。オフクロがそう言ってましたね。しかし、クワは持って出なかった。ウチのクワはウチにまちがいなく残っていました。私のウチでなくなったものと云えば大きな背負いカゴぐらいのものですが、しかしその日の父は何一ツ持たずに出かけたし、カゴはそれ以前からなくなっていたのです」
 新十郎は伊之吉を見つめた。伊之吉も新十郎を見つめていた。
「まだ明るいうちにお父さんは出かけたのかね」
「まだ薄明るい夕方でしたね。私は虫の知らせか歩き去るオヤジの後姿をかなり遠方へ去るまでボンヤリ見ていたんですよ。ちょうど今ごろの季節でしたよ。オヤジは確かに手ブラで家をでたのですが、死んでいたときには、クワもあったし、ガンドウもあったそうですね。チョウチンもあったそうです。そのチョウチンは持主の名が書かれていないチョウチンでしたが、田舎じゃア持主の名のないチョウチン
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