「夜間は仕事を致しません。住居の方に居られます」
「ここに小屋を持った方々はどういう方々でしょうか。誰でも小屋が持てますか」
「それを欲すれば誰でも小屋をたてて住むことができるでしょうが、それを欲する人は、要するに日本中にこの小屋の数だけしか居らないというにすぎません。小屋の住人は全部といってよろしいほど近隣の里から山へあがってきた人です。そして参詣者は元来が山を住居としている人ですね。山へきても定着するのは、里の人の習慣ですよ。小屋の住人はたいがい児玉郡の百姓だった人たちです。私も神の矢にかかった一人ですが、他の一人、神の矢で殺された今居定助の倅《せがれ》の伊之吉も数年前からここに小屋をたてて住んでおります」
 これまた意外の話であった。神の矢にタタられた人々はおのずからタタリの神のお膝元に集らずに居られない気持が起るのであろうか。
「伊之吉には毎日お会いになりますか」
 こう訊かれると、加治景村はニッコリ笑って、
「こういうところに住むような心を起す者どもですから、小屋の住人同士で世間なみに交際することは、まずないのです。仲間同士の仁義や礼儀はおのずから有りますが、交際は有り得ません。茶のみ話が好きな人や必要な人はこんなところに住みませんよ。食事の支度や不浄の用に立ったとき、たまにすれちがう住人同士で黙礼するぐらいのもので、私たち同士ではこんなにお喋りすることは殆どありませんよ。むしろ夜分に小屋の外から話しかける参詣の山人たちと話を交す方が私たちの用いる大部分の言葉と申してよろしいでしょう」
「神主さんは尊敬すべき人格の御方でしょうか」
「それは実に尊敬すべき御方です。己れの天職にあの方のように一途に没入できるものではありませんよ」
 悟りきった昔の富豪に別れを告げて、一同は伊之吉の小屋を訪れた。彼は二十七だそうだ。彼もまた素朴ながらも利巧そうな眼をもつ若者だった。彼も気軽に来客を迎えた。
「いつからここに住んだのですか」
「二十一の年から足かけ七年になりますよ」
「どういうわけでここへ住む気持を起したのですか。誰かが信仰に誘ったのですか」
「里の暮しがイヤになったからですよ。神の矢に殺された父の子は、里の人には何年すぎても珍しがられるばかりだからね。神の矢のお膝元では誰もオレを珍しがらないね。フシギな話だね」
「ここへくると珍しがられないということが、どうして
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