参りましょう。犯人を取り押えに。もっとも泉山さんは、氷川町から人形町へ直行なさる方が近道ですね。では、おやすみ」(ここで一服。犯人をお考え下さい)
★
海舟の前にかしこまって、すべてを語り終って後も、虎之介のフクレッ面はとがッたままだった。昨夜の別れ際に、氷川町のことまで新十郎に先廻りして云われたのが癪にさわって堪らないからである。
海舟はナイフを逆手に後頭部の悪血をしぼりとり、それを終って、左の小指の尖を斬った。ポタリ、ポタリ、と懐紙にたれる血を見るともなく考えふけっているようであったが、ふと顔をあげて、虎之介のフクレ面をからかった。
「虎は大そうムクレているな」
「よくお分りで」
「誰が見ても、よく分らアな。だが、ムクレているワケを言ってやろうか」
「そこまで見破られるほどのバカではござらん」
「犯人が皆目分りやしないからよ。まるッきり分らなくッちゃア、ムクレの他に手がねえやな。概ねムクレて一生を終る面相だぜ」
せッかく悪血をしぼりながら、こんなことを言っているのは、海舟も概ね犯人が分らないせいではないかと疑いたくなる。しかし悠々|綽々《しゃくしゃく》として、一向にムクレた様子がないのは、そこが凡人と偉人の差かも知れない。あんまり見上げた差ではない。要するに、海舟先生、苦吟の巻であった。海舟は小指の悪血をしぼり終って、静かに語りはじめた。
「犯人は足利の仁助さ。六人家族に目が一ツ半。この理に着目すれば謎はおのずから解けらアな。新十郎の云うように、ほかのことには手をつけずにタタミとネダをあげて壺を取りだした犯人は、かねて壺の在りかを知る機会にめぐまれた奴にきまッてらアな」
虎之介が益々ムクれてさえぎった。
「軽率でござるぞ。オカネが人々の不在を見すまして壺を取りだして中を改めている所へ賊が忍び込んで参ったのかも知れませんぞ」
「虎にしちゃア、できたことを言うじゃないか。だが、オカネがネダをあげたにしちゃア解せないところが一ツあるのさ。タタミ一枚分のネダがそッくりあがっていたそうじゃないか。壺を隠した当人がネダをみんなあげるようなムダなことをするものかえ。また、壺を改めている最中に賊が現れた際には、格闘の跡もなければならない道理だよ。オカネは寝こみを襲われているぜ。非力とは云え因業婆アが目をさまして盗ッ人を迎えたならば、鵞鳥どころの騒
前へ
次へ
全23ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング