れば抜けだせないのですよ。なぜなら、その晩だけ、先生はお酒をのんでグッスリ眠るが、ふだんは夜更けまで目玉をギラギラさせている習慣だからですよ。そしてアンマにもまれている時仙友さんが外でお酒をのんでることを妙庵先生は全く御存知ないのです」
「十二時頃女中にふられてオデン屋を立ち去ってから、彼はどこをブラついていたのですか」
花廼屋《はなのや》がこう訊くと、新十郎は首をふって、
「さア、それがとりとめがないのです。諸所方々をうろつきまわっていたようだが、ハッキリ覚えがないと云うのですよ」
一同は、またアンマ宿へ戻ってきた。まだ家族たちは戻っていない。角平の姿も見えなくて、稲吉がただ一人ションボリ留守番をしているだけだ。
「日が暮れると、にわかに注文殺到でさア。物見高いんだねえ。ふだんは一晩に三口か四口も口がかかりゃアいい方なんですよ。私も人殺しのウチに留守番なんてイヤだから、仕事にでたいが、家を明けて出るワケにもいかないから、困ってるんだよ。留守番を代って下さいな」
「もう、ちょッとの辛抱だよ」
新十郎はズカズカ上へあがって、
「間取りのグアイを見せておくれ。ここは二軒長屋だね。典型的な二階建長屋づくりだ」
彼は階下階上ともにテイネイに一部屋ずつ見てまわり、台所も、便所も、便所の前の三坪ほどの庭も、眺めて廻った。特にオカネの殺された部屋では中央のタタミをあげ、ネダの板を一枚ずつ取りのぞいた。どの板も元々クギを打った跡がなかった。
この日の彼の調査は、それで終りであった。彼らは帰途についた。
「銀一とお志乃に会うのは明日にしましょう。急いで会う必要もありますまい。家族は六人、目は一ツ半。古田さんでしたね、そう仰有ったのは。見える方の一ツ半を考えるよりも、見えない方の十半を考える方が重大かも知れない。しかし、まだ私には分らないことが一ツある。それをやッぱり私自身が頭の中で突きとめなければ意味をなさない」
新十郎の思いつめた呟きをきいて、花廼屋も虎之介も古田巡査も呆然また呆然の顔々。
虎之介は血を吐くような深所からフワフワした声をふりしぼって、
「バ、バカな」
「ナニがですか」
「犯人が判ったわけじゃアないだろう」
「犯人は判っております」
「春さきはフーテンがはやるものだね」
新十郎はクツクツ笑って、
「明日、正午に私の書斎に落合いましょう。そして、人形町へ
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