て走られたと承りましたが、コマ五郎があくまで止めだてしたことについては、どのようにお考えでしょうか」
「そんなことが分るかよ。あのズクニューめが。ワシを軽々と抱えて降りたバカ力はたいしたものだが、力持ちに利口がいたタメシはないものだ。アッハッハ」
 何をきいても、この調子であった。
 土佐八とその子波三郎を訪問したときはもッとひどい。
「コマ五郎親分が犯人だとは思われないが、どうして黙って手を後にまわしなすッたんでしょう」
 と新十郎がきいても、
「知らないねえ」
 まるでよその人の話をしているようだった。ただ反応があったのは、ダビ所の建築の仕掛をきいたときで、
「ダビ所の抜け道はどこに、どのように、仕掛けられていたのでしょうか」
 ときくと、土佐八と波三郎は心底から呆れ顔に新十郎を見つめて親子は目を見合わせ、
「抜け道なんぞ、あるかい。抜け道どころか、蟻の這いでる隙もないように念を入れて造ったものだ」
「蟻の這いでる隙もないように。……するとなるべく煙の吹きこむ隙がないように、というためにですね」
「そんなこたア知らないが、床も羽目も内と外から二重に厚板を合わせてピッタリと蟻の出入りの隙もなく念を入れた仕上げだよ。はばかりながらコマ五郎一家の仕事はタネも仕掛もありやしねえ」
「親分の話では、内から扉をひくと錠が外れて落ちるように浅く錠を使っていたそうですが」
「そこは親分だけが手を施しなすッたところだろうから、親分がそう言うなら、その通りだろうじゃないか」
 土佐八の返答はうるさそうだった。波三郎はハナから一言も語らず、土佐八ももう返答をしなくなったので、新十郎はイトマを告げた。
「ロッテナム美人館以来、犯人は西洋奇術使いとオキマリのようだが。ハッハッハア」
 と虎之介がからかったが、
「そうなんですよ。大の男が自在に出入できるだけが奇術の仕掛ではないのですよ。蟻でも出入できないという奇術の仕掛もあるようです。念には念を入れまして、ね」
 新十郎はすまして答えた。
 それから数日して重二郎の失踪は確定的となったが、それにつれて帳簿の整理が行われ、喜兵衛の親友でありチヨの実父たる三原太兵衛が家業に不馴れな清作を輔《たす》けて指図する。と、重二郎の不正は続々と現れてきた。架空の山が買いつけられたことになっており、万をこす金が一時に彼のフトコロにころがりこんでいる例もあった。
「かほどの大金を一時に握るほどの大胆な不正をはたらいているのに、長屋に毛の生えたような家作に住んで調度品に金目の物もなく、ヤモメ暮しのくせに浮いた話もなく、御近所の目にたつような派手なことが一ツもないというのは妙だ。どこかに豪奢な二重生活のアナがなければ話が合わないではないか」
 当然この疑問が起って人々が調べてみると、予想たがわず彼の二重生活が現れてきた。女中のお加久という老婆の妹の娘お染というのが彼の二号で、すごいほど豪奢な別宅を構えていたことが分った。お染の伯母のお加久が重二郎の本宅の女中となって妾宅とレンラクし、サイハイをふるっているのだから、シッポがでなかったのはムリもない。
 お染お加久らを訊問して重二郎の行方を追求したが、
「旦那の行方を知りたいのは私の方ですよ。あの物静かな旦那が悪いことなんぞ出来るものですか。お店のお金をくすねたなんて、人ぎきのわるい。山キの聟だもの五万十万のお小遣いを持ちだすのは長屋のガキが三文持ちだすようなものですよ。私のウチじゃアかけがえのない旦那だから、早く旦那を返しておくれ」
 そう云うのもムリはない。つもりつもって、どれだけの大金をつぎこんだのか知れないが、妾宅の構えといい、調度類といい、ゼイタク三昧の暮しぶり。重二郎の行方を知りながら隠しているようではないから、取り調べがすむと釈放された。
 新十郎一行も妾宅を訪問して、お染、お加久らと会見し、
「あなた方にとってはかけがえのない旦那だから御心配のことでしょうが、重二郎さんの行方不明についてはどのようにお考えですか。誰かが座敷牢へ閉じこめるとか、殺すとか……」
 海千山千のカングリのはたらきそうなお加久の顔にも、座敷牢だの殺されるという言葉から、さしせまった反応は見られなかった。
「ほんとに旦那はどうしたんでしょうね。人の恨みを買うようなお方じゃなし……」
「大旦那に帳簿の不正を知られたというようなことで、御心配の様子は見えませんでしたか」
「とんでもない。山キの聟がお店の金を五万十万持ちだすのは当然ですよ。心配そうな様子なんぞ一度だって見せたことはありません。陽気で、気さくで、オーヨーな旦那ですよ」
「ほかに重二郎さんが身を隠しそうな御婦人は?」
「私が女中に附きそって旦那の身の廻り一切やっているのですよ。お店とお染ちゃんのところ以外に三十分寄り道しても私の目はごまかせませんや。お染ちゃんのほかには女もいなきゃア、仲間もいません。旦那にとってはお染ちゃんだけがかけがえのない恋人。そして、このお加久がかけがえのない親類で親友ですよ。旦那が私に相談せずに、身を隠す筈はないんだけど……」
「お加久さんは秋田生れですか」
「先祖代々の江戸ッ子で」
 新十郎はお染に向って、
「お加久さんのお言葉を信用しないわけではありませんが、旦那はあなたに対してはお加久さん以上に遠慮も気兼ねもなかったと思いますが、なにか身にあまる不安がおありで、それが思わずふともれるような御様子は見えませんでしたか」
「見えませんでしたねえ。いつも陽気で、明るくッて」
「大旦那が生きながら葬式をなさることについて、どんなことを仰有ってましたか」
「木場の旦那らしい趣向で、結構だと、大そうほめていましたよ。木場のお金はそんな道楽に使うものだ、なんて、ウチの旦那もそんなことがお好きな性質なんですね」
「重二郎さんがここを最後にお立ちになったのは?」
「お葬式の三四日前ですね。それが済むまで忙しくッて、ちょッと五六日はぬけられそうもないなんて、そう言って出て行きました」
 妾宅での質問はそれだけだった。
 虎之介は新十郎のタドタドしい捜査方針が甚しくあきたりないらしく、
「重二郎の妾宅なんぞでムダのやりとりをしなくッたッて、心眼で、ピタリ。話はハッキリしているなア。重二郎は市川の別荘で殺されてるよ」
「えッ。あなたはそう思いますか」
「そうさ。向島の寮をでて市川の別荘へ向い、あとの行方が知れないとあれば、市川の別荘で殺されたのさ」
「殺したのは?」
「コマ五郎さ。山キの血統を根絶やしにして一味の隠し子をたてようてえ寸法だが、ここに恐しいオトシアナがあるのだよ。余計なところにグズグズと手間どってると、山キの血統が根絶やしになる」
「ですが、コマ五郎は牢屋にいるじゃアありませんか」
「ハテサテ、衰えたものだア! 紳士探偵の評判が泣くなア。コマ五郎が落ちつき払って腕を後にまわした図太い様子をなんと見る? このタクラミを捉える心眼がなくて、どうするのだえ。コマ五郎には多勢の一味があるよ。土佐八も波三郎もおれば、その他多数の決して口をわらない輩下の命知らずもいるよ。犯人は牢屋にありと安心させて、山キの血統を根絶やしにする。するてえと、牢屋のコマ五郎が無罪だという結着まで出てくるてえ寸法さね。このタクラミが見破れなくて、神楽坂から市川在までの埃ッぽい道を御大儀にも三度も四度も息がつづくてえのは、昔からバカは精がつづくと云うが、牛は牛づれと思われちゃア私が甚だつらいじゃないか」
「ヤ。実に敬服すべき心眼です」
 新十郎は顔を赤らめて恐縮して、
「コマ五郎が落ちつき払って腕を後にまわしたところを見ていらッしゃるとは恐しい。牛づれなどとは、とんでもない。ですが、もう一ヶ所だけ、善光寺へ参詣のつもりで、牛にひかれて下さいな」
 新十郎の善光寺は、木場のヤマ甚という旦那のところであった。喜兵衛や太兵衛と同年輩の友達で、これまた思慮と胆力に富んだ代表的な木場の旦那であった。新十郎は快く奥へ招ぜられたが、
「ダビ所が燃え落ちた直後に、トビの者が三々五々、本当に誰かが死んでいるぜ、といぶかしそうにヒソヒソ話をしていたそうですが、それは彼らがどのような驚きから発したように見えたのですか。たとえば、本当に焼死者の姿があるべきではないのに、予期に反して確かに誰かが死んでいたという意味か……」
 ヤマ甚は深くうなずいて、
「さすがに天下の結城さん。そこを見て下されて、私も満足です。私もあなたの仰有る意味のように見たのですが、会葬者も警察もそう見てくれる者がないので、さては私の心の迷いかと、いささかわが身のモウロクをはかなんでいたところです。結城さんがそこを見て下されば、私は確信して申上げることができますよ。トビの者は、たしかに焼け死ぬ者がいない筈だと思いこんでいたのですよ。あの機敏な判断にとんだコマ五郎が火消装束に身をかためて見張っていながら、人の生死にかかわる火勢の判断や助ける時期を失う筈はない。よしんばコマ五郎はこれを山キの覚悟の自殺ととッさに判断したにしても、火消し商売の輩下が何十人と火消装束で身をかためて見ていながら、山キの危険をさとって飛びこもうとした者が一人もないのはフシギだ。ジャンと音をきいたとたんにハネ起きて装束をつかんで走っている江戸の火消人足じゃアありませんか。こうと見てとれば誰が止めようと火の中へとびこむように生れついている勇ましい奴らですよ。親分の指図がないから、人がみすみす死ぬと知って動かないというような、おとなしい奴らじゃありませんよ。その奴らが、焼跡に屍体を見て、オイ、本当に誰かが死んでいるぜ、と怪しんだとすれば、一目リョウゼンじゃアありませんか。いくら燃えても死ぬ人間が中にいないと思いこんでいたから、平気で、動かなかったんですよ。奴らが口止めされた以上は、もはや誰がどうやっても口を開かせることはできませんが、山キとコマ五郎のとりきめた趣向では、誰も死ぬ者がでない筈だったにきまっています。散々人々をハラハラさせて、本当に焼け死んだとみせて、生きて出てくる。案内状の予告通りにやらないところが、本当の趣向だったのですよ。生きて火葬になるほどのシャレた趣向をする以上は、そこまで人を食ってイタズラもしたくなろうというもの、まア、私が山キの立場でも大きにそれぐらいはしかねませんとも。チョイと燃えかけたところで、赤い頭巾にチャンチャンコをきて皆さん今日はと現れ出でても、そのあとでボウボウ威勢よく燃えさかっている火焔の方になんとなく面映ゆくって、せっかく生れ変った人間の方には威勢の良いところが少いねえ。予定狂って、本当に死んだと見せて、アレヨアレヨという焼跡にノコノコと現れ出でてこそ、趣向というものさ。山キとコマ五郎はチャンとそこを狙っていたと思いますよ。しかるに、本当に死んだてえのは、ナゼだろうねえ。どうしても、誰か殺した奴が居なくちゃア合わない理窟だ。八百人の見物人の目があったにしても、この目は正面の一方にしか利かない目だ。三方はこれをとりまいた火消人足の目がきくだけだから、ヌケ道からそッちへでても八百人の見物人には分らないという趣向だったと思いますねえ。このヌケ道をふさいだ奴があったんだ。コマ五郎はわざと見物の人にこれ見よがしに錠をおろしたが、それは錠のおろされていないヌケ道があったという証拠でしょうね。扉に錠をおろしたコマ五郎が犯人ではなくて、誰かヌケ道に錠をおろした奴が本当の犯人だと思いませんか」
 新十郎は同感をあらわして、うなずいた。
「御明察の如く、元来の趣向は予定狂って死んだと見せて、ノコノコと現れる筈でしたろう。すくなくとも火消人足が信じていたのは、そうでしたろう。ですが、どこにヌケ道があったのでしょう。また三方をとりまいた火消人足の目をかすめて、誰かがそこに錠をおろしうるでしょうか」
「前夜のうちなら出来ませんか」
「ところで、お説のように火消人足たちが実は誰も死なないという裏の趣向を心得ていたとすれば、たぶんヌケ道の所在も心得ていたでしょう。ところが危険がせまる火勢になってもヌケ道か
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