の番頭たちは必ず土地々々の季節の名物を買ってくるのが山キの家法のようなものだ。秋の季節の京都ならば松茸と、云わずと定まっているようなものであった。
二助は背負えるだけの松茸を背負って帰ってきたようなものであった。喜兵衛はこれを近隣へ進物し、向島の寮へも届けさせた。
ところが、ここに奇怪なのは、他家へ進物した中にも、本宅に残った中にも毒茸は存在しなくて、向島の寮へ届けた小量の中にだけ毒茸が混入していたのである。そこで、京都の松茸の売店も、それを買ってきた二助にも罪がなく、松茸の荷を解き、いくつかに分けて、向島へ届けるのはこれと定まってから、それが向島に届くまでの間に何者かが毒茸を入れたのだろうと考えられたが、それが手から手へ渡る途中には怪しい事実を確認することが全く不可能であった。
山キは喜兵衛の先代が秋田の山奥から出てきて築いた屋台骨であるが、したがって先代以来、ここの番頭は主として秋田生れの者を使っていた。
まず大番頭は、先代が秋田から連れてきた番頭の二代目で、重二郎と云う。元来、遠縁に当る家柄の者で、姓も同じ不破である。重二郎は当年三十七。これからが分別盛りで、手腕の揮いど
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