ころという大切なところであるが、彼は主家の娘トミ子を妻に与えられ、今までの浅からぬ主従関係はさらに血族の縁に深まり、末代まで主家の屋台骨を背負う重任を定められたのであった。
これも一ツには彼の父が二心なき番頭として今日の主家の屋台骨を築くに尽した功績の大いさにもよるのであったが、また一ツには、トミ子が生来の病弱で、他家に入って主婦の重任を尽しがたいせいもあったのだ。
トミ子は重二郎に嫁して、父や良人の心づくしの我ままな結婚生活に恵まれながらも、二児を遺して死んだ。
この二児は主家の外孫に当る上に、主家の子供が病弱で次々と死ぬから、特に疎略にはできない。そこで重二郎は主家に対して忠実な番頭であるためには、自分の子供に対しても忠実な番頭的存在である必要があって、この二児をまもるために、再婚するわけにゆかない。主人の喜兵衛がその妻を失ってのち妻帯しないから、彼も同じようにしなければ義父に義理が立たないような遠慮も必要だったのである。
重二郎の下に、一助(二十七)、二助(二十五)、三助(二十二)と順に符牒でよぶ定めになっている三名の小番頭がいる。その下に平吉、半助という小僧がいるが、いずれはこれも何助という小番頭に出世が約束されている。この五名もそろって秋田地方の出身であった。
松茸に似た毒茸もいろいろあるが、山キの二名の孫のイノチを奪ったものは、特に松茸にそッくりで、タテにさける。これは秋田の山間の限られた地域に見かけることができるもので、山キの主従はその毒茸の発生地域の出身であった。これはその土地の方言で、ヅラダンゴだの、ヘップリコなどゝよばれている猛毒のものだ。
本宅の者は材木の買いつけに生れ故郷との往復もヒンパンであるから、地方で育った小番頭や小僧は云うまでもなく、東京生れの喜兵衛も重二郎も生地|名題《なだい》の毒茸の知識はあった。台所の主権をあずかるオタネ婆さんも生国の毒茸を見あやまるようなことはない。
ところが運わるく向島の寮には、この毒茸を見破る能力ある者が一人もいなかった。病身の清作は東京以外を知らないし、チヨも女中たちも生粋の東京人だ。関西とちがって関東の者は概ね松茸についてファミリエルな鑑賞にはなれていない。ホンモノと毒茸とを並べて見比べれば疑問の判定はつくのだが、ヘップリコだのヅラダンゴという概念を持たないから、寮の人たちは怪しまなかった。
この怪死事件には、警察の手もうごいた。けれども、諸家へ松茸を配分したオタネ婆さんに怪しむべきところはなかったし、それを向島の寮へ届けた半助(十五歳)にも怪しげな節はない。
オタネ婆さんから半助の手に渡され、半助がそれを持って出発するまでと、向島に至る道中、及び向島の寮の者に渡されてのち料理されるまでの間には、誰の目からも距てられた時間がたしかにあった。
半助は向島へ至るまでに他の五軒に松茸を届けている。もっとも、向島の分だけは進物用とちがってミズヒキなどがかけられていないから、他家の分ととりちがえる筈はなかった。それらの家はいずれも山キとジッコンのところであるから、まアお茶菓子でもおあがりとカマチに腰かけたり、女中部屋へ引きあげられたり、茶菓をいただき、お返しの半紙など受けとって、順ぐりに五軒をすまして向島に辿りついたものだ。
この五軒の中にはチヨの実家の三原太兵衛、これはマル三という木場の大旦那の一人だが、その家もある。
また、高野為右衛門、これは鍵タという木場の旦那。ここが若干問題の家であった。と云うのは、ここは喜兵衛の死んだ女房の生家だからで、喜兵衛の子供がみんな病身で次々に死ぬ。それもみんな母方の体質に欠点があるせいだ、と喜兵衛がもらしたというので、鍵タから厳重抗議の使者が立ち、一時両者の間は甚だ険悪なものがあった。
もっとも受身の喜兵衛の方には特に含むべきイワレはないのだが、人の盛運は健康の中にあると云われるように、たしかに当主が病弱だった鍵タは日とともに衰運に傾き、破産に瀕するところまで来ているらしい内情であった。家運の傾いたアセリから特にヒガミも生れたのであろう。したがって、喜兵衛の方はインネンをつけられて愉快な筈はないが、先方のヒガミに同情できる気持もあって、亡妻の生家に対する一応の礼は欠かさない。それがまた鍵タのヒガミをそそりたてて、小さな根から大きな怒り恨みを結ばせ、内攻させていたのであった。
しかし、もしも清作親子四人が全滅したとすれば、実質上の利得をうる者は重二郎であろう。なぜなら、彼の実子たる二人は主家の外孫で、それが主家の後嗣《あとつぎ》の最も有力な候補者であろうからである。
この疑いは当然誰の頭にも起ることであったから、彼の身辺は最も深く当局の洗うところとなったが、彼が秋田からヘップリコを取りよせたような時間もツテも
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