本ずつ軽く打った釘はフタの役に立つようなものじゃアありません。軽く肱《ひじ》を突っぱっただけでも開く仕掛けになっていましたよ。ヨイヨイじゃあるまいし、火にまかれるまで出場を失うような旦那じゃありませんや。ちゃんと覚悟があってのことだ。私はこう見たから、旦那のお心に背かないのが、最後の御恩返しと心に泣いて旦那にお別れを告げていましたぜ。思慮と云い、胆力と云い、衆にすぐれた旦那がこうときめたこと。木場の旦那の数あるうちでも音にきこえた山キの旦那ともあろうお方が、ヨイヨイやモウロクジジイじゃあるまいし、自分で趣向をたてた葬式に火にすくんでトビの者に助けだされたなどと、旦那の名を汚すような外聞のわるい評判がたつようなオチョッカイをはたらくほど慌て者のコマ五郎じゃアありませんぜ。はばかりながら、死水をとってあげる気持で、ジッと火を見つめていたんでさア」
「口は調法なものだなア。ところで、コマ五郎にきくが、お前の方の大工の流儀じゃア、扉というものは人間の出入口にはつけないものかえ」
「ヘッヘッヘ。壁に扉をつけた大工が居ましたかえ」
「お前の大工の流儀でも、扉を開けなくちゃア出入できないというわけか」
「ユーテキはそうでもないそうで」
「コレ。コマ五郎。山キの主人を殺した者はキサマにきまったぞ。キサマが扉に錠をおろして火をかけたことは八百人の会葬者がチャンと見ていることだ。ソレ、縄をうて」
 コマ五郎は顔色も変えず手をまわして縄をうたれつつせせら笑って、
「錠をおろしたのは御見物の皆様をハラハラさせてパッと出ようてえ旦那の趣向さ。内から扉をひけば錠の釘がぬけるように仕掛けたものさ。焼けてからじゃア錠の仕掛けが分らないかも知れないが、かほどの趣向を立てるからにゃアゾッとすくむところまでやりたいのが当り前というものだろうね」
「ハッハッハ。キサマもトビの頭《かしら》だが、扉をひけば外れる錠なら外から押しても外れる筈と分らないのがフシギだなア。人のかたまりが扉に当って、二枚の扉ごと外れたのは、錠がシッカリかかっていたという言いぬけられぬ証拠だ」
 意外や、不敵なコマ五郎がチラと顔色をかえて、目が鋭く光った。
「なるほど。そうかい。いいところへ気がついたねえ。ハッハッハ。こいつァいけねえ。オレの負けだ。旦那、お手数をかけやした」
 コマ五郎はカラカラと笑った。取調べの警官の方が毒気をぬかれてギクリとしたのだ。ちょッと、変だった。
 しかしコマ五郎は引ッ立てられてしまったが、その後に至って妙な情報が集ってきた。
 燃え落ちてまもないころ、焼け跡から戻ってきたばかりのトビの者が三々五々、
「オイ。見たか。誰かが本当に死んでやがるぜ」
「シッ!」
 気転のきいた者が目顔で制する前に、トビの者にはアチコチにこういう動揺があった。それを目にとめ耳にとめた参会者が二十人ほども現れた。
 警官もすててはおけないから、コマ五郎の輩下をよび集めて、一々訊問したが、
「バカバカしい。死人のいるのが当り前さ。誰がそんなことを言いますかい」
 いずれも歯ぎれよく一笑に附するばかりであるから、むろんそうあるべきことと警官はもとより参列者も納得して、それなりになって事はすんだかに見えた。
 と、翌日の朝に至って、重二郎の姿がどこにも見えないのが、はじめて問題になってきた。重二郎は当日本宅に留守を預っていた筈であるが、実はそこに居なかったことが本宅の女中の言葉で明らかとなった。重二郎の私宅を調べると、お加久という老婆が、
「旦那はその前日出たきりですよ。翌る日はオトムライの日だから、今夜は泊りだよ、と私にもそう仰有《おっしゃ》って出たきりですよ。本宅か市川にお泊りのことと思っていましたがどうかしましたか」
「出かける時はふだんの姿と同じだったな」
「ええ。そうです。もっともオトムライに着るための紋附は一そろいフロシキに包んで持っておいででしたね。だから、その晩は本宅か市川へお泊りの予定でさアね」
「本宅の留守番に紋附はいるまい」
「そんなこたア私ゃ知りません。本宅の留守番だって、オトムライの日は紋附ぐらい着ちゃアおかしいかねえ」
「隠すと為にならないぞ。妾が七人もいるそうだが、オトムライの留守番をいいことに、妾のところへ籠っていやがるのだろう。妾の名前と住居をみんな有りていに申しのべろ」
「ヘエ七人もお妾がいましたかねえ。世間の旦那は飯たき婆アにお妾のノロケを言うものですかえ。私ゃウチの旦那からそんなノロケを承ったことがないね」
 ちょッと海千山千という目附の老婆。
 重二郎の妾が七人というのは警官のデタラメだ。重二郎は身持ちがよくて、妾があるような噂も近所に云う者はいなかった。
 それから二日すぎても重二郎は姿を現さなかった。しかし、そこに、喜兵衛焼死とむすびつく曰くがあるか
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