ゲキョウ」
 どッと念仏やお題目の声があがって、坊主の読経を消してしまった。
 六尺の余もある縁の下にギッシリとつめた枯れ柴だから、火がまわると物凄い。パチパチと火のはぜる音。やがて、ゴウゴウたる火勢の音。火の音に負けまいと期せずして高まる念仏の音。各々が一つずつのかたたまりとなって、互に敵音を打ち消そうと、もみあい、くみあい、ひらめきあがる。
「もう、そろそろ出てこなくッちゃア……」
 と、虎之介はジリジリしはじめた。もちろん、これだけの趣向をやる仁だから、舞台効果を考えているのは当然だ。相当に火がまわってから、赤い頭巾にチャンチャンコ、ヒョッコリ生きて現れるところに値打があるのは分っているが、そろそろ出てこなくちゃア出おくれてしまう。と、一陣の風と共にどッと燃えあがった火焔。一時にダビ所をつつみ、火勢あまって赤い舌は大地をたたき、甜《な》めるように地面を走った。
 風が落ちてみれば、まだ火は縁の下の上方にはかかっていないが、火勢に追われて、逃げまどった坊主の一団から騒ぎが起った。
 足もとのたしかでない老師は逃げおくれでアタフタしたあげく、ようやく他の坊主たちに抱かれて退いたが、ふと坊主たちを突き放して火の方へ戻りかけて、何事か叫びたつ様子に、一同は我にかえって、
「そうだ。いま、出なくッちゃア」
 一足出おくれると死んでしまう。一同はにわかに喜兵衛の身にせまる危険をさとって、思わず立ち上りかける。と、コマ五郎がとびだしてきて、
「静かに! 静かに!」
 老師を押しとめ、一同を制し、
「旦那は出おくれるようなお方ではなく、足腰は二十《はたち》の火消人足と同じぐらい確かなんで、火にまかれて死ぬようなドジをふむお方ではございません。特に本日は特別の行事、私なんぞが、とやかく指図に出ちゃアいけないと心得て、今か、今か、と待っていましたが、今もって旦那が出てこないのは、出られないのじゃなくて、出ない覚悟ときまっています。旦那は、こうして死ぬつもりだったんだ。もう、私らがジタバタしても仕様がないから、皆さん、どうか旦那が心おきなく成仏なさるように念仏をとなえて下さいませ」
「このズクニューめ。坊主の言うようなことを言ってやがる。こんな時には坊主はそうは言わないものだ」
 と、小さな老師はシワだらけの顔をくもらせて呟くと、にわかにダビ所の扉に向って階段を駈けのぼった。逃げるときのタドタドしい足どりとは打って変った素早さ。
「危い!」
 コマ五郎が後を追う。数名の坊主につづいて十名ちかい火消人足の一団が、
「危い! 危い!」
 連呼して、もつれつつ駈け上り、扉の前で押しひしめく。一かたまりの人むれに押されて、扉がドッと中へ倒れた。同時にドッとあおりたつ煙につつまれた。全てはまったく一瞬とも云うべき短い時間の出来事だった。
 煙に追われて一同は、ナダレを打って逃げ降りた。コマ五郎は老師をシッカと抱きかかえていた。それが「動」の終りであった。火に包まれた仁王様を「不動」とはうまく称《よ》んだもの。ダビ所はエンエンたる火焔につつまれ、はげしい不動の時間の後に燃え落ちたのである。もはや誰もどうすることもできない。ただ、見まもっているばかりである。棺桶の上には扉が倒れかかっていたが、やがて火焔につつまれて、全ては姿を没してしまったのである。
 喜兵衛は生きながら焼け死んだが、呻き声もきこえず、姿も見せなかった。そして、不動の悲劇のテンマツを二人の怪探偵もカタズをのんで見終ったのである。

          ★

 ここに、まず問題になったのは、火消装束に身をかため、まるでこの場にあつらえ向きに勢揃いのコマ五郎及び輩下の五六十名という夥しい人数が、手をつかねて燃えるにまかせ、死する喜兵衛をむなしく見送ったのはナゼかということであった。参会者の疑念は、そこに集中した。焼け落ちてしまってから、ようやく焼跡をほじくって、中央のまさに在るべきところから喜兵衛の焼屍体を探しだして茫然たるコマ五郎一党に向って、人々の怒りの視線はきびしくそそがれた。
 所轄の警察のほかに、急報をうけて駈けつけたのは深川警察の精鋭。かねて舟久の話によって、先代コマ五郎が喜兵衛の恋人と子供をひきとって然るべく振り方をつけてやったことまでは判明しているから、これは怪しいとまずピンときたのは当然だった。
 取調べの急所は云うまでもなくなぜ喜兵衛を助けださなかったか、という点である。コマ五郎は悪びれもせず、
「失礼ながら、先代以来特別の目をかけていただいたコマ五郎、旦那の気質は一から十までのみこんでるつもりです。こんな風変りの趣向をなさるからには、御自分の胸にたたんだ何かがなくちゃアいけませんや。コチトラが口をだすはおろか、指図もないのに手をだすことはできません。若旦那や坊ちゃん方が一
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