叔父の態度も、もはや慌ててはいないのだ。むしろ怒っているように見えた。
「たぶん、叔父の耳には兄の声がききとれなかったのだろう。あるいは、答を聞きちがえたのかも知れない。モウロクして、お耳が遠くなったのだわ」
 と、克子は考えた。そして、安心して叔父の指さす方を見た。克子は、アッ! と自分の叫んだ声がきこえたような衝動をうけた。シノブ夫人の居た場所にいま立つ人は別人なのだ。侍女キミ子である。シノブの姿は掻き消えた如くに失われていた。
 克子ですらも叫び声を発したかと思うほど驚いたのだから、兄のおどろかぬ筈はなかった。兄は身動きもしなかった。ただ、見つめていた。その顔は克子の方からは見えないが、脂汗がしたたるような苦悶の姿に想像された。
 兄は緩慢な動作で、ハナでもかむように、両手で顔を覆うた。そうするうちに、冷静をとり戻したようだ。そして、それ以上に乱れなかった。兄は顔を上げて、
「この者は、妻の侍女キミ子。しかし、実は妻と同一人間です」
 やや亢奮のせいか、さッきよりも声は高く、ふくらみのある澄んだ声が冷たく張りつめた空気をきりさいて人々の耳に流れこんだ。
 叔父はユックリうなずいて
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