反抗的に苛立ちもしなかったのだ。そして、それら外部的な事柄にこだわらずに、問われたことに正しく答えれば足りる、と判断したことを表していた。
 これにまさる聡明な判断があるものではない。しかも、問いつめられ、威圧されてそうなったのではなく、自分で静かに吟味して、冷静にだした結論だ。この場に処してかく為しうる人は驚くべき聡明冷静な人であろう。およそ狂人の片鱗だにも見られはしない。
「偉なる人、聖なる人、兄よ」
 克子は叫びたいと思ったほどだ。
 兄は静かに質問に答えた。
「この者は、妻シノブです」
 すこし、からだがふらついていた。それは病臥の果てであるから、当然のことである。そして、声は総ての耳には聴きとれなかったほど低かったが、低声は兄の生れつきのものでもあるし、衰弱によって甚しくもなっていた。他に異状はない。真実を答えれば足りると信じ、そしてただ真実を答えた平静さ。これ以上に聡明な人為《ひととなり》と品格を表わす例が他にありうるだろうかと克子は感動して見まもったほどであった。
 ところが、意外にも、叔父は同じ物を指して、また、訊ねた。
「あれは、そなたの何者でござるか?」
 しかし、
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