んだところで当然ではないか。しかもたったそれだけで、妻の顔も見分ける能力を失った病人だという悪い判定を下されはしないか。克子はそんなことを考えて、胸を痛めた。
 兄は己れの妻の方を見ていたが、何か屈辱を感じたような複雑なカゲリが走った。しかし、その屈辱の内容については、兄以外の誰にも、むろん克子にも分らない。そして、兄がいま苦しめられている何かが甚しく複雑な何かであるということだけが確信できるだけだった。
 兄は叔父の背後に威圧するように控えている多勢のそして無言のエンマ達を吟味した。
 兄はエンマの誰かに顔見知りが居るだろうか。書斎に閉じこもっているばかりで、華族同士のツキアイなどに出たこともなく形式的な式や賀宴にはたいがい叔父や久世喜善が代理ですましているから、ひょッとすると親族代表のような大殿様の顔なぞも忘れているかも知れない。
 エンマの顔を一ツずつ吟味して兄が何を発見したかはその顔に表れなかったが、兄は何かを会得した如くに素晴らしい顔附をした。そして、その顔附の表した意味は、この人は聡明である、ということだけのように見えた。つまり、この人はエンマたちの威圧に押されもしないし、
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