そこには総ての人が居たように思われた。久世喜善、隆光父子も。須和康人も。シノブも、侍女たちも。叔父晴高も。小村医師も。そして、そのほかにも多くの人々がいた。
 たとえば、大伴家の親族代表とも云うべき某公爵や侯爵など。また、日本の貴族代表とも申すべき某々公爵等の姿までまじっていたのだそうである。
 また、積田、尾山、加奈井、という三名の医学の権威、積田は医学全般の最高権威者であるが、尾山、加奈井は精神病の権威者であるという。その三名が集っていた。そしてその場の中心的な人物は、日本の代表的な大貴族たちではなくて、実はこの三名の医学の権威であったのである。全くそれらの勢威ある侵入者たちは多くの従者をしたがえており、その従者たち単独でもこの客間の卑しからぬ賓客として遇せらるべき人々であったから、それはもう一見しただけでは全く判断のつけがたい、ただ物々しく怖るべき群集であったにすぎない。
 この物々しい群集は、桓武《かんむ》の流れをくみ、南国の一角に千年の王者たりし一貴族の末裔、侯爵大伴宗久の精神鑑定のために突如として侵入したものであった。
 このような大貴族や大博士が事もあろうに大集団を
前へ 次へ
全88ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング