ジウラなのだろうか?
克子はそれを茫漠たる思考の中で思いだそうどしていた。
兄が発作のウワゴトの中で、シノブ夫人と、二人の侍女は三位一体、三人はただ一人の同じ人間だ、とくりかえし叫んだ言葉は忘れる筈はないけれども、それは克子を納得させた言葉ではなかった。むしろ、その言葉によって兄の妄想や悪い病気の方を納得させられ、寒々と悲しい思いをさせられたウツロな言葉だ。
あのとき彼女が「分身」を感じたのは、ジカに胸に刺しこんできた甚だ現実的な知覚によってであった筈だ。実にハッキリした何かであった筈である。
実にそれが、その一晩中、彼女には思いだすことができなかったのである。疲れきっていたせいであろうか。それが一晩中思いだせなかったということも、そこにツジウラと似たような何かの宿命があるのかも知れない。
★
居合わした人々は克子の報告をきいて一様によろこんだ様であった。そして、その後、兄の容態が再び悪い方へ向ったキザシは決して起っていなかったのだ。
しかるに午後になって、克子は別室の人々に呼びよせられた。別室には人々の物々しい姿があふれて殺気立っているように思えた。
そこには総ての人が居たように思われた。久世喜善、隆光父子も。須和康人も。シノブも、侍女たちも。叔父晴高も。小村医師も。そして、そのほかにも多くの人々がいた。
たとえば、大伴家の親族代表とも云うべき某公爵や侯爵など。また、日本の貴族代表とも申すべき某々公爵等の姿までまじっていたのだそうである。
また、積田、尾山、加奈井、という三名の医学の権威、積田は医学全般の最高権威者であるが、尾山、加奈井は精神病の権威者であるという。その三名が集っていた。そしてその場の中心的な人物は、日本の代表的な大貴族たちではなくて、実はこの三名の医学の権威であったのである。全くそれらの勢威ある侵入者たちは多くの従者をしたがえており、その従者たち単独でもこの客間の卑しからぬ賓客として遇せらるべき人々であったから、それはもう一見しただけでは全く判断のつけがたい、ただ物々しく怖るべき群集であったにすぎない。
この物々しい群集は、桓武《かんむ》の流れをくみ、南国の一角に千年の王者たりし一貴族の末裔、侯爵大伴宗久の精神鑑定のために突如として侵入したものであった。
このような大貴族や大博士が事もあろうに大集団を
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