け。幾之進も三次郎もやや御酩酊である。
オヒラキのあとではお紺に金三の両ツンボが酔いつぶれ、お吉アンマもヘドを吐いて暫時ねこむていたらくであった。
ところで、翌朝のことである。
酔ったおかげで早々と目のさめたお紺が、別宅の新郎、新婦のお目ざめの様子を見て、まだモーローといたんで霞む頭をもてあましながら、別宅の台所へやってきた。新宅の台所で新鮮なお茶を立ててあげようというダンドリである。この台所を使うのははじめてだが、板をあげると下に薪があるはず。そう考えて、板をあげた。
お紺は仰天して腰をぬかし、やがて十羽のアヒルがほえたてるようなオシの大騒音が起った。
人々が台所へかけつけてみると、お紺は喚きつつ腰をぬかしている。板を二枚あげかけて一枚は下へ落したが、中に見えるのは朱にそまった死体であった。
床の板をあげてみると、死んでいるのは二人である。鋭利な刃物で三四ヶ所刺しぬかれて血の海の中にことぎれている。
しらべてみると、お紺の父の三休と兄の五忘ではないか。まさに密室殺人とはこのことで、下の物置は四囲をぬりかためて、出ることも、はいることもできない。
しかも物置の内部だけが血の海で、台所に一滴の血がないのを見ると、この中で殺されたとしか思われない。
さすがの島田幾之進も茫然として考えることもまとまらない。ようやく放心を押し鎮めて、三次郎に向い、
「どうも、解しがたいことが起ったものだ。二人の坊主が、どこをどうして、この中で殺されているのか判じ難いが、婚礼のドサクサを見こんで泥棒に来たもののようだ。それ、二人ながら、麻の丈夫な袋を腰にブラ下げでいる。だが、この殺しッぷりは、まア、お前ではなさそうだが、わざとヘタに刺す手もある。とにかく殺したものがウチの誰からしいのは確かなようだ。信じ難いが、信ぜざるを得まいて」
三次郎も大きな福助頭をうなずかせて、
「どうも仕方がありません。みんな酔い痴れていたようだから、誰かが夢中でやったのでしょうか。実に困ったことだ」
警察へ届けでる。さア、怪物の邸内で奇怪な殺人が行われたから、噂は忽ち街を走る。御近所の海舟の耳には一時間もたたないうちに耳にとどいた。
「新十郎に知らせるがいいぜ」
と、海舟はちょッと考えて、侍女に云った。
「取り調べのあとで、御足労だが立寄って下されたいと鄭重に頼みなよ」
そこで新十即は花廼屋《はなのや》に虎之介の三騎づれ、馬を急がせて駈けつける。
新十郎は現場を見て、おどろいた。
「ありうべからざることだ」
さすがの新十郎も現場を睨んで、しばし茫然。ようやく発したのがその一語であった。
二人の死体をていねいに調べた。
「この麻の袋は何を盗むツモリだろう? 室内には二人の足跡もない。しかし、とにかく、誰かが殺したことは確実だ」
多数の警官が島田邸内をノミも逃げ場がないほど探す。門弟たちの私宅にも警官が走って、一同の昨夜の服装をとりしらべる。みんな礼服を着用していたのだが、どこにも血のあとが見られない。
邸内くまなく探したが、特に盗みの対象となるような貴重な金品は見出すことができなかった。
「お紺が住み込みの下女で、父と兄が麻の袋をぶら下げていることには関聯があるのだろう。お紺は何を見たか」
新十郎はお紺と全身的な対話を試みたが、彼女は父や兄に盗みを誘ったこともないし、貴重な品は見たことがないと答えるのみであった。
「麻の袋で運びだす貴重品」
邸内くまなく探して見当らなければ仕方がない。盗まれる対象は実存しなかったと云うべきであろう。
日の暮れるまで調査して得るところなく、新十郎の一行三名、海舟の前へ報告にきた。新十郎は苦笑して、
「ありうべからざることが、有り得ている。そして、なぜだか、皆目分らないのですよ」
海舟は落つきはらって、
「有りうべからざることとは何事だえ」
「板の裏側に血しぶきが附着しております。台所の床下の物置の中で、板の下にとじこめられて殺されたバカがいるのですよ」
「縁の下に入り口がないのかえ」
「ございません。四囲は石材をぬりかためたものです」
「新門の辰五郎の話では、ぬりこめた石材をうごかす術もあるそうだぜ。土蔵造りの左官屋が、縁の下にうごく壁をつくっておいて仕事をしていた例もあるそうな」
新十郎は上気して、目をかがやかせた。
「有りうべからざることは、起り得ない道理です。どうして、そこに気がつかなかったろう。先生のお言葉の通りです。私はそれを見た。しかし、気がつかなかった。なぜ、そこに死んでいるか、そのワケにこだわりすぎたためでした。私はたしかに見ました。血の殆どかかっていない壁が二ヶ所にあった。一方は犯人の身体にさえぎられたと考え、一方はその方角に血が飛ばなかったと考えたのです。なぜなら二ツの壁は向い合っていた。ですから、犯人が血をさえぎった反対側は、被害者の背中の側だと考えたのです。ところが被害者の一人はクビの動脈もきられているし、一人は横にくの字に折れています。背後にも血がとぶべきであった。すると、そのとき、その壁は開いていたのだ。まさしく、それに相違ない。有りうるが故に、起るのだ。加害者は壁があいて、被害者のもぐりこむのを、待ち伏せていたのです」
翌朝、新門の辰五郎の乾分《こぶん》に応援をたのんで縁の下へもぐってもらうと、彼は難なく、その石の壁をあけてしまった。
その新居を造ったのが七宝寺のお抱え職人ベク助であったことも判明した。
そこまでは分ったけれども、それから先は完全に糸が切れているようなものだ。
酔い痴れた一座の人々の動静は誰にも明確な記憶がない。しかし恐らく犯人は外来者、平戸久作と門弟たちでは有り得ないであろう。なぜなら、彼らが血まみれの衣裳を始末することは不可能だからだ。だが、一応自宅へ戻って始末をつけ着代えてきても、怪しみをうけない道理もあった。諸人が酔い痴れていたからである。
新十郎はふッつり人と往来をたち、日ごとに人知れず他出した。そのようなときに、彼は何事も語らないから、他出の目的は分らないが、彼が憑かれたように熱中していることだけは確かであった。
「紳士探偵もボケたなア。犯人は島田三次郎。三尺足らずの小人で武芸達者なら、これにきまったものだ。オレが真犯人をあげても良いが、せっかく売りだした紳士探偵の顔をつぶすのも気の毒だなア。ハッハッハア」
と虎之介は大きな両腕でヘコ帯の前を抑え、肩をゆすって呵々大笑した。
花廼屋はブッとふきだして、
「相変らずの石頭だなア。尊公は。三次郎が盗ッ人を殺すワケがあるかえ。当身《あてみ》で倒す腕もある。まして祝言の当夜だぜ。石頭には人の心が解けないなア。人の心には曰くインネン故事来歴があって、右が左にはならないものだぜ。ちとオレの小説を学ぶがいいや」
「ハッハッハ。貴公の犯人は誰だえ」
「まだハッキリとは云えないが、とにかく、これは女だなア。お家の大事と思い乱れて逆上する。女の心てえものが、この謎をといてくれるな」
虎之介はゲゲッとふきだすと腹を抑えて、しばらくバカ笑いがとまらなかった。
★
島田幾之進とは何者か。平戸久作との関係は? 新十郎は石橋をたたくように一ツ一ツ調べつづけた。
しかし、結局、島田幾之進が何者であるか、ついに新十郎も突きとめることができないのだ。
巷説によれば、馬賊の頭目であり、海賊の親分であるとも云う。そして、この道場へ住みつく時には革の行嚢に金の延棒を百三十本ほどつめこんでぶらさげて来たという。もとより真疑のほどは明らかでないが、その金の延棒がなかったことは家探しの結果明らかであるが、巷説を信じて坊主父子が麻の袋をぶらさげて盗みに入ったと見ることはできる。
しかし、ベク助に抜け道の細工をやらせるほどの計画を立てるからには、もっと確かな見込みがあってのことではなかろうか。すると、家探しの結果、見落している場所が有りうるであろうか。
新十郎は平戸久作と大坪彦次郎の関係、葉子と鉄馬の破談のテンマツや、新しい結婚のテンマツなどは、辛うじてこれを明らかに知ることができた。
彼が最後に会ったのは、お吉であった。
「お前が婚礼の晩、耳にきいたことを話してごらん。何か特別なことがなかったかね」
「そうですねえ。私はお祝いにあがりましたが、お手伝いもできないから、ボンヤリ坐って、オヒラキになるのを待っていただけですよ。オヒラキのあとで残り物の酒肴をいただいて酩酊しましてからはよく覚えがありませんが、金三さんもお紺さんもオシのことで、酔っぱらうと、ワアワア唸るのがうるさくてねえ」
「オヒラキになったのは何時ごろだね」
「八時ごろだとか皆さんが言っていました。私が酔っぱらって、うたたねして、起きてウチへ帰ったのが十二時ごろですが、そのときは金三さんもお紺さんも銘々の部屋で大イビキでねむっていました。オシのくせに、二人はひどい大イビキでねえ」
「その晩お風呂はあったろうね」
「それは祝言ですから、お風呂をたかないはずはありませんねえ。けど、私はお風呂はいただきません」
「酒宴の最中に風呂にはいった物音をきかなかったかね」
「お風呂は道場の方についていて、台所から離れているから、物音なんぞきこえません」
「お料理を作っていたのはお紺かい」
「いえ。料理屋の仕出しですが、お手製のものはサチコさまが主に指図してお作りになっていたようですよ」
「お前は山本定信さんのお邸にも出入りするそうだね」
「ええ。時々もみ療治にあがります」
「お前は大工のベク助を知っているかえ」
「ええ。そういう人が居たてえことは聞いてましたが、ツンボでオシだから、メクラの私には知りようがありませんでしたねえ。たしか金三さんの話ではベク助のツンボとオシはニセモノだてえことでしたよ」
「それは確かにニセモノだそうだよ。ところでお紺が父と兄を手びきしたような気配はなかったかい」
「そんな気配はメクラの私には分りませんねえ」
新十郎の訊問はそれで終りであった。
新十郎はなお数日出歩いた。そして彼が犯人を指名する日がきたのである。
★
婚礼の夜の出席者が全部道場に集っていた。新十郎は花廼屋と虎之介のほかに、三名の警官を伴ったにすぎなかった。
新十郎が一同に着席を命じ、一座のざわめきが静まったとき、島田幾之進の隠し持った短銃が突然金三の耳もとで発射された。金三はとび上った。
新十郎はニッコリ笑っただけだった。そして静かに警官に云った。
「ツンボのフリをしていた男が犯人ですよ。ホラ。私の言うことがよく聞えると見えて、逃げだしましたよ」
逃げたって錬達の門弟にとりまかれていては五歩と動けるものではない。金三は捕えられて、警官にひかれて去った。
新十郎はうちとけて、島田道場の一門に対した。
「お吉のおかげですよ。金三がベク助のツンボとオシを見破ったと語ったそうです。オシのツンボがメクラに語るのも奇怪ですが、ベク助のツンボとオシをニセモノと見破った金三とは何者か。お吉が山本定信邸へ出入りする如くに、金三が山本邸へ出入りすることを確かめれば足りたのです。その確証を握れば、あとは皆さんが私以上にワケを推察なさるでしょう。金三はベク助が三休、五忘の命令で縁の下に抜け道の細工を施したのを見ぬいていました。金三は忍びこむ五忘らを地下の密室で殺す必要があった。それが彼の意志かどうかは御推察にまかせますが、それは当家に犯人の汚名をきせるためと、たぶん、金の延棒の発見、没収を策すためでしたろう。金の延棒があると、島田一門はいつかシナの山中へ消え隠れてしまうから」
新十郎はニッコリ笑った。
「さて、わからないのは金の延棒の隠し場所ですよ。私は今もって知り得ませんが、どうやら三休と五忘はその場所を心得ていたようです。あの家探しの結果、分らなかった場所。そして、三休と五忘の用意からみると地下でもない場所」
そのとき島田幾之進が、セキ払いをした。それは笑いをかみ殺しているようにも見えた。彼は笑みをたたえて、叫んだ
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