った。
 ところが自分がニセモノであるために、彼は妙なことに気がついた。
 ある日仕事のキリがわるくて後片づけをしているうちに真ッ暗闇の夜になった。そこへお吉アンマが普請場を通りすぎたが、昼間通る時に比べて実に歩行が不自由だ。しきりに物に突当るし、その手さぐりのタドタドしさ、何倍の長時間を要して普請場をようやく通りぬけて行く。
 メクラに夜も昼もあるものか。このメクラはニセモノだぞ、たしかにクサイ、と自分がニセモノであるために、ベク助は即座にこう断定した。
 なるほど、お吉の片目は白目だけだし、片目は細くて、赤くただれ、黒目がちょッとのぞけて見えるだけだが、ただれのためにメクラとしか見えないけれども、いくらか見えるに相違ない。ちょうど帰りが一しょになったから、話しかけて、秘密を知りたいとは思うが、ツンボでオシが喋るわけにいかないから、暗闇を幸い、見えがくれに後をつけると、芝山内の近くまで長歩きして、大きな邸宅の裏木戸をくぐって行く。
 幸いあたりは人通りがないから、ベク助はそッと塀をのりこえて邸内へ忍びこんだ。
 使用人の住宅もあるから、燈火のもれているのを一ツ一ツのぞいて行くと、本邸の洋館広間に主人と三太夫らしい人物とお吉の三人が話をしている。わりに窓に近くて、お吉の声がカン高いから、お吉の声だけわりとハッキリききとれる。
「金三さんの話では、今度の大工はニセツンボだてえことでした。金三さんはニセツンボに年期を入れていますから、一日二日でニセと分ったそうですよ。どうしても音のする方に顔がうごきますからねえ。ですが、なりたてのニセモノにしては出来た野郎だてえ話でした」
 お吉の声である。ベク助はおどろいた。オヤオヤ、下男の金三もニセツンボで、コチトラだけが見破られるとは呆れた曲者。上には上があるものだ。
 男の声はききとれなかったが、どういう筋から雇い入れたか訊いたらしい。お吉の返事で、
「七宝寺のナマグサ坊主ですよ。住職が三休てえ蛸入道で、その子の五忘てえガマガエルの妹がお紺てえホンモノのツンボで島田の女中にやとわれている事。蛸入道もガマガエルも芝で名題の悪党ですから、何かたくらんでいるのに相違ないと金三の話でした」
 それから話は金三に尚とくと大工を見はれと言ってるらしく、まもなくお吉は立ち去った。
 すると、それと入れちがいに奥から二人の若者が現れた。その二人に見覚えがあるので、ベク助は、
「ヤ、ヤッ」
 と心に叫びを発した。二人は島田道場の門弟だ。一人は平戸久作の倅、葉子の兄の一成であるし、一人は大坪鉄馬という門弟中でも一二の俊英、師の信任をうけている高弟であった。
 お吉の代りに若者が相手になると主人の声もはずんできて、ツツヌケにきこえる。
「平戸久作も小金に目がくらんだか。葉子を化け者のヨメにやるとは呆れた奴だ。のう、鉄馬。大坪彦次郎と平戸久作は生死をちかった無二の友。鉄馬と葉子は両家を一ツに結び合わせるカスガイだ。その堅い婚約には七年前にこのオレが立会っている」
 主人の語気には若者を煽りたてる作意がこもっていた。
 ところが鉄馬の返答は、意外に冷静沈着であった。
「平戸一成と大坪鉄馬は二人の父に代って、父と同じように生死をちかった無二の友です。葉子どのとの婚礼の必要はありませぬ」
「ほう。言うたな。しかし、なア。大坪彦次郎死後に至って挨拶もなく婚約を取消して化け者にくれてやる平戸久作の心が解せぬわ。イヤ。久作の心は解せる。化け者の人身御供に美少女を所望した島田が憎い。のう。久作に罪はないぞ」
「イエ。師も、先生も葉子を所望致されはせぬ」
 葉子の兄、平戸一成の声であった。主人は相手の語気をそらして、うすとぼけて、
「ほう。師も、先生も、とは何事じゃ。師と先生と二人いるかな」
「師は島田幾之進先生。先生とおよび致すは島田三次郎どのです」
「あの化け者が何芸を教えおる」
「諸芸に神技を会得しておられます。弓をとれは飛ぶ矢を射落し、杖を握れば一時に百杖の閃く如く先生の姿を認めるヒマもありませぬ。短銃を握れば六発が一ツの孔を射ぬきます」
 こればかりは主人も初耳であったらしい。しばらくは言葉に窮していた。
「島田も化け物も所望しないと云うのだな」
 主人の声は噛んで吐きすてるようだった。一成はうなずいて、
「左様です。父の意志ではありませぬ。葉子が自ら所望しました。先生の不具の身にいささか憐れみの志をたてたのは滑稽ですが、その志に濁りや曇りはありませぬ。葉子の覚悟は一途です。至純です」
「ようし。さがれ。それがその方らの本心か。大狸に化かされるな。今に目のさめる時がくるぞ」
 二人の若者はそれには答えなかった。ただ鄭重《ていちょう》に会釈して、静かに退去した。ローソクのゆれる火影に、主人の顔が一ツ残った。まるで気の狂った猫のように、その目に憎悪の閃光が宿っている。ベク助はここでも背筋に悪感の走るのを覚えた。
「どういう関係の奴らだろう。まるでオレには解せないが」
 と、ベク助は邸を脱出して帰途についた。主人の標札だけは見てきたが、山本定信とあった。
 ベク助は七宝寺へ戻ってきて、五忘に訊ねた。
「山本定信てえのは何者だね」
 五忘の目がギラリと光った。
「貴公、本日、何を見たのだ」
「何も見ねえよ。そんな人の名をきいただけさ」
「名がでる筈はない。なア。貴公。その名は出ないよ」
「そうかねえ」
「そうだよ。だが、まア、いいや。貴公の仕事はそんなことじゃアなかったなア。山本定信てえのは、清の皇帝様の重臣だよ」
「日本人じゃアねえのかね」
「オレがお釈迦サマの友達、重臣だてえのを貴公も心得ているだろう。天下は甚だ広いものだ、なア」
「そうかい」
「下僕の金三に、アンマのお吉、ツンボとメクラがいただろう。貴公、それをどう見たかえ」
 畜生メ。心得ていやがる。何から何まで油断のできないガマガエルだ。ベク助は癪にさわって、返答せずに座を立った。
 蛸入とガマはみんな心得ているらしい。オレときては敵地へまんまと乗りこみながら、敵に見破られるばかりで、一向に確かなことが分らない。実にどうも面白くない有様である。
 しかし、ここまで踏みこんだからにゃア、今にみんな正体を見ぬいてみせる。蛸入もガマもおどろくな。
 とにかく話がみんなシナにつながっていやがるらしいから、そッちの方からタグリだしたらどうにかなろうというものだ。
 ベク助はこう考えて計画をねった。

          ★

 ベク助は翌日の仕事を早目に切りあげて、横浜本牧のチャブ屋へでかけた。そこのオヤジはシナ浪人のバクチ好きで、先に七宝寺の本堂へ時々バクチにきたことがある。横浜に通じているベク助、然るべき筋で手ミヤゲの阿片を買いもとめたが、これは訪ねるチャブ屋の亭主が阿片中毒だからである。
 何よりの手ミヤゲ。その利き目は恐しい。亭主は秘密の別室へベク助をつれこんで、自分は阿片を一服しながら、
「そうかい。山本定信のことかい。あいつがつまり、これじゃアないか。この、阿片だよ。奴の北京居館は五十何室阿片でギッシリつまっていると云われているな。高位高官へタダの阿片を無限につぎこむ代りには、シナのことじゃアシナの公使よりも日本にニラミがきくそうだ。シナの利権は奴の顔を通さないと、どうにもならないということだぜ」
「するてえと、山本てえ人は日本の役に立ってるのか、シナの役に立ってるのか、どっちの役に立つ人なんでしょうねえ」
「それはお前、どっちの役にも立たねえや。自分の役に立つだけだアな。しかし、まア、どっちかと云えば、シナの威光をかりて日本を食い者にしている奴だ」
「ふてえ奴ですねえ。ところで、つかないことを訊きますが、島田幾之進てえ武芸者は、シナにツナガリのある仁ですかい」
「ちかごろ名題の曲者だなア。オレがシナにいたころは、そんな名を一度もきいたことがないな。だがな。アチラの馬賊の頭目や海賊の頭目に日本人が一人二人いるらしいが、誰も日本名を名乗っちゃいねえよ。みんなアチラの名がついてらア」
「平戸久作てえのは?」
「それは棉花を買いつけて、ちょッとばかしもうけた商人だ。大坪彦次郎てえのが相棒で、モウケたと云ってもそれほどの成金ではないが、こういうカセギをするにも、それ、山本定信の手を通し、進物を呈上しなくちゃア事が成らないてえワケだ。山本定信に見放されると、あとのカセギはできないぜ」
「なるほどねえ」
 これで大体の当りはついた。ただ問題は島田幾之進であるが、平戸久作が山本定信にそむいて葉子を三次郎にめあわすとすれば、島田は山本と対立しうる実力者であるに相違ない。
 するてえと、蛸入道とガマ坊主は何を目当てにたくらんでいるのであろうか。
 島田一族という奴は、とにかく薄気味わるい怪物ぞろいだ。おまけにニセツンボは山本定信の廻し者に見破られている。あるいは島田一族にもとっくに見破られているかも知れない。
 しかし、ベク助とても悪党の筋が一本通っている点では人後に落ちない曲者だから、みんな見破られているようだと分っていても、よろしい、一そうやってやれという不逞な根性が鎌首をもたげるのである。
 五忘の奴にたのまれた約束なんぞというチャチな問題ではなかった。敵を大曲者と知り、見破られたと知る故に、敢て五忘の註文通り縁の下から通じる道を立派にしとげて怪物どもの鼻をあかしてやろうと決意をかたくした。
 そこでベク助は普請に精魂を傾けた。一手に大工も左官も屋根屋もやる。九月上旬からかかって十二月の半ばに八畳と四畳半と三畳に台所をつけた小さな別宅が完成した。一人で仕上げたにしてはたしかに見事な出来。ところが台所の板をあげると下が物置になっている。物置の四方が塗りこめられていて縁の下との仕切りは完全のようであるが、実は幅三尺、高さ二尺の石のカベが動くように出来ている。この苦心はナミ大ていなことではなく、しかし堂々とやってのけた。
 島田幾之進はベク助の熱心な仕事ぶりと見事な出来を賞して、多額の金品を与えた。
 ベク助はその日七宝寺へ立ち帰ると、五忘に向って、
「約束通り、細工はちゃんとしておきましたぜ。細工はこれこれ、しかじか。まア、ためしに行ってきてごらん。約束の金はそれからで結構でさア」
 と、しごくおおらかで、コセコセしたところがないのは、蛸入やガマの如き小怪物は物の数ではない。大怪物を見事にだましおわせた満足だけで大きに好機嫌であったからだ。
 ところが五忘とても、そうチャチな小者ではないから、ベク助の言葉にイツワリなしと見て、耳をそろえて七百両をとりそろえ、
「大そうムリな頼みをしてくれて有りがたい。ガマと自雷也のホリモノはフッツリ忘れたから、どこへなりと行くがよい。長らく性に合わない仏造りは、すまなかったな」
 こう云って、アッサリとヒマをだした。
 ベク助は足かけ四年、一文もムダに使わず貯えた金だけを肌身につけて、
「長らくお世話になりました。また箕作りのベク助で」
 と、道具一式を包みにしてブラリと七宝寺を立ち去ってしまった。
 しかし、このまま行きずりながらもフシギな事態を見すてるようなベク助ではなかった。最後の秘密は必ず見届けてみせるぞ、と心に誓い、流浪の箕作りを装って、島田道場を遠まきにセブリをつづけていたのである。
 必ず何かが起る。容易ならぬことが起るであろう。何が起るか知れないが、オレが本腰を入れるのはそれからだ、とベク助は考えていた。

          ★

 それは婚礼の夜のことだ。婚礼と云っても、極めて内輪の集りで、島田幾之進、平戸久作、いずれも妻女をなくして一人身、二人の父と門弟、サチコが集ったのみ、つまり毎日の顔ぶれにヨメとその父が加ったというだけのことだ。
 道場で祝言をあげ、座敷で酒宴をひらく。平素酒をつつしむ島田道場で一同が盃をくみかわすのは正月の元日でも見ることのできない風景である。
 平素きたえにきたえた一同も、酒の方ではきたえがないから、早くも酔って、座は甚しく賑やかに浮き立っている。酔わないのは、サチコとオヨメさんだ
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