休はおどろかない。坊主には惜しい商魂商才、生活力旺盛であるから、お経なんぞあげない方が稼ぎになろうというものだ。その上目先がきいているから、仏像がタダ同然値下りのドサクサ中に諸方のお寺の仏像をかきあつめ、十年あとではそれが大そうなモウケとなっているのである。
のみならず、生れつき手先が器用だから、自分で仏像をきざむ、倅《せがれ》の五忘には小さい時から仕込んだから、親子鼻唄マジリで年に二十体も仏像を刻めば大そうなミイリになる。泥づけにして、千年前、六百年前、何々寺の尊だ秘仏だと巧みに売りさばくのである。
たまたま旅先で箕作《みつく》りのベク助の器用な腕に目をつけた。これを雇入《やといい》れて、生産力が倍加したが、五忘の奴が父に劣らぬ道楽者で、父子相たずさえて遊興にふける。お寺の本堂でバクチをやる。ミイリはあるが、出るのも早くて、年中ピイピイである。
ベク助は住込みで月十円の高給。食住がタダで十円だから、相当な給料だ。三休と五忘は時に貧窮して、ベク助に金をかりる。すると天引き二割、月の利息二割で貸しつける。とりたてはきびしい。ベク助は大望があるから、今はせっせと金をためているのである
前へ
次へ
全32ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング