人に所持品がなく、そこは人の通るところでもないから、自殺や過失でなくて他殺であるということ。また牛に突き殺された人が逃げたらしいところがなく、広さの中央で後向きに突き殺されているし、所持品もないから他殺であるということ。多分、お考えの通り他殺でしょう。また日がくれてから四十分しかなかったから、犯人はその時間中に仕事をしたに相違ないこと、これも正しい判断です。つまり、人間は魔法使いのように決して空をとんだり姿を消したりして仕事をすることはできません。ただ何かを利用すれば姿を消したり空をとぶ魔法と同じことがやれる。夜の暗闇を利用するのがその一ツなのですよ。ところが雨坊主の方は暗夜にはとても辿りつけないような山中の径《みち》もない谷底で死んでいる。夜を利用して行けないとすれば、どういうことになるでしょうか。誰か彼が谷の方向へ歩いている姿を見た人があったか、誰にも見られていないとすれば、何を利用して姿を消して歩くことができるか。ここに、それに関聯して考える必要のあることは、ナガレ目は一年前からその谷へ通っていたらしいし、オタツも時にそこへ現れていたらしいが、彼らがそこへ通う姿は誰にも見られていなかったでしょう。しからばこの二人はすでに何かを利用して魔法の代りに身を消す方法を用いていたに相違ないのです。二人の方法を突きとめると、第三人目四人目の人間の用いた方法のヒントをうることができるかも知れません」
 実に平凡なことではあったが、急所であった。菅谷は愕然として、名探偵の顔をみた。その顔は親しげな笑みをたたえて彼をやさしく見つめているが、菅谷はその親しみをこめた笑みや眼差しをうけるに値しない身の拙さを省みて、赤らんでしまった。
「次に重大なことは、ナガレ目とオタツが谷へ行くことは秘密のアルバイトですから姿を消して行く必要はありますが、殺された人たちは姿を消して行く必要があるでしょうか。あるとすれば、それは何か。また、ナガレ目とオタツと被害者のほかの誰かがその谷で彼らがアルバイトをやってることを知っていたか、どうか。たとえばガマ六や雨坊主などが、小田原から下曾我方面へ向ってどこまで人に姿を見せているか、それを突きとめてゆくと、彼らがどこから姿を消したか分ってくるでしょう。次の知るべきことは、それと同じところまで姿を見せて同じ方向に歩き去った他の人物があったか、どうか。これを突きとめると限界が分ってきて、誰が犯人でありうるか、というヒントの一ツになります」
 新十郎の顔はひきしまった。
「そっちへ歩き去った他の人物の有る無しを探る場合に、たとえば質屋の倅というような特殊な一人を想定してはいけません。いつも白紙で、とりかかることです。小田原の人ばかりでなく、他の土地の人も、同じ村の人も、とにかく誰であってもかまいません。犯人は誰でもありうるのです。その犯人が見つかるまでは、全部の人が容疑者であるし、もしくは誰も容疑者ではないのです。今、申し上げた二ツのことを探してから、また、いらッしゃい」
 菅谷は心からの尊敬を新十郎にいだいた。そして、食事を一緒にとひきとめられたが、それどころではなく、事件の解決にはげしい情熱と希望を得て、いそいそと下曾我村へと帰途についた。
 ナガレ目とオタツは許されて村へ帰っていたから、二人を訪問して、さりげなく訊いてみると、二人は菅谷とは親しくなっていて警官という特別な考えは元々少いところへ、留置場でいかつい刑事に接して、ふだん親しい菅谷に対しては半ば軽蔑と、それだけ親しみも増すようになっている。そこで谷へ通う方法を警戒もせずに語ってきかせた。
 ナガレ目は人のねしずまる深夜に往復していた。ところがオタツは道のない山や谷をわたって昼でも人に知られず谷へ行くことができると云った。ナガレ目も同じことができるのだが、彼は牛をひいているから、なるべく深夜に平易な道をとったのである。
 オタツが谷へ通うのは山の畑に山ごもりしているとき、そこから山づたいに誰にも知られず谷へ通うことができるのだ。
 オタツは偶然ナガレ目のアルバイトを突きとめて、時々材木を運んでやるから運賃をよこせというのを口実にして、口止め料をかせいでいた。一回一円であるが、ナガレ目は炭の運送料から算定して一銭でタクサンだと云ったが、オタツは腕ップシが強大だし、意地ッぱりだし、秘密を握ってもいるから、時々一円まきあげにきた。その代り、大の男でも一人で担げない材木を三本ぐらいまとめて運んだ。それは親切のせいではなくて、そうしても苦にならないから、やってるだけのことであった。このことは二人だけの秘密であるから、二人が敵味方にわれて大論争になっても、二人とも警察で一言もこれにふれなかった。オタツも自分がたかっているのを言うわけにいかなかったのだ。
「一円は安いから、値
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