ぎているようだ。ガマ六のような用心深い悪漢がどんなに酔っても汽車にひかれたり、自殺することは有りッこない。第一、酔ってのことなら汽車にはねられて死ぬが、あれは完全にねてひかれたものだ。五十とはいえあの大男の力持を線路にねじふせてひかせることはむずかしいから、殺したのをひかせて、過失で死んだと見せかけたのに相違ない。だから現場に所持品もないし、かぶっていた筈のスゲ笠もない。
ガマ六の行先や、特に雨坊主が丹沢山中へでかけたことは、ナガレ目とオタツだけしか知らない筈だと思われていたが、質屋の倅なら、ナガレ目こそは不倶タイテンの商売仇、ガマ六や雨坊主が自分の指図でなく旅にでたときはナガレ目訪問とチャンと彼だけは知っていた筈。その後をつけても、先廻りしても二人を殺すチャンスは充分だ。
菅谷は花房の湯を訪ねて、雨坊主が出立の時のことをきいてみると、奇妙なことに、これもガマ六と同じように牛の角にかけられて死ぬ前日の午さがりに家をでている。懐中には五千円ほどの大金を持っていた。彼は丹沢山の山猿のところへ行ってくるとハッキリいい残したし、大金を持っていても山猿は慾がないから心配はいらないと言っていたそうだ。
ところで、ここに重大な問題が現れた。雨坊主もガマ六と同じようにゾロリとした着流しにワラジをはいていた。ところが雨坊主はワラジをはく習慣がない。彼はいつも草履をはいて道中した。
雨坊主はタビをはいた草履をつッかけて着流しで出かけた。ところが屍体は、素足にワラジをはいており、ワラジはかなりの道ノリをはいて歩いたようにスリ切れていたが、素足の表面にくッついた泥を払うと殆ど素足は全く汚れていなかったし、はじめて素足でワラジをはいたならマメやスレたあとがありそうなものだが、それが一ツもなかったのである。納棺のとき、それに立ち会った者が気がついて、皆々首をひねったが、結論がでないので、警察にも報告しなかったのだと云う。
「この高い塀は質屋の倅が二階からのぞくので造ったそうですが」
「ええ、こう申しては何ですが、お隣りの坊ちゃんぐらい色好みの殿方も世間にたんとありますまい。こう身をのりだして三時間でも五時間でもヨソ見一ツなさらずに眺め入るんですから、恐れ入ります。こんな塀は造りたくないのですが、あの調子で眺め入られては大事のお客様が来て下さいません」
「それで当家と恨みが結ばれたというようなことがありましたか」
「人様の噂では、恥をかかせた、仕返しをしてやる、そんなことを言っていたとかききましたが、直接当方へそんなことを言ってきたことはございません」
菅谷が質問につまっていると、内儀は改まって、
「納棺のとき皆さまがフシギだと仰有ってましたことは、正面から角で突きふせられているのに、うつむいて地面に押しつけられたように口に土をかんでおりまして、鼻の孔の中にもいくらか土がついておりましたことです。これは、どうもワケがわからない。どんな風に牛に突き殺されたのか、まるで謎のようだ、と皆さまがフシギがっていらしたのです」
菅谷はうなずいて、
「それは本官もフシギに思っておりました。御主人はあまり御壮健とも思われませんが、時に挙止に自由を欠くような持病でもお持ちでしたか」
「特別壮健ではございませんが、若いころは船乗りで、相当に身体のシンはできた方で、特に持病もございませんし、オメオメ牛に突き殺されるほどモロイ人だとも思われませんが、あいにく防ぎにくい場所で間が悪かったのかなどと皆さまがそれもフシギの一ツに算えておりましたようです」
そこは牛の姿を隠す特別の場所だから、非常に木立のしげったところだ。菅谷はそれを思い出して考え直してみたが、しげみが深いということは、時に逃げるに不自由かも知れないが、攻撃をよけるに好都合な意味もあるに相違ない。ところが雨坊主が突き伏せられたのは、シゲミのマンナカあたりで、ちょッとした広さのほぼ中央だ。そこに屍体があって血だまりはそこにしかない、ただ一ヶ所しかない小さな広さのマンナカに殺されているということは、つまり、彼は逃げなかったということを意味しているのではなかろうか。
雨坊主はなぜ逃げなかったか? 逃げられない特別な理由が有りうるだろうか?
菅谷は、自分の頭が単に謎を提出するだけで、一ツも解く力がない、ということをイヤというほど思い知って切なかった。どうも観戦記、イヤ、批評家的で、実戦の役には立たんようだぞ、と薄気味が悪くなったのである。
しかし、勇気をふるい起して、質屋のノレンをくぐった。大きな懐中時計を質におくフリをして色々値ぶみをしてもらって、安いだのもっとならないかと、手間どってみたが、倅は店に現れないし、よびたてて会うだけの都合のよい方法も見当らない。やむを得ず、時計は懐中に再び収めて店をでた。会っ
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