でいるのだから、本来の名探偵とは違う。けれども甚だ退屈しているから、村に事あればジッとしていられずヤオラ起き上って指図をやきたがるが、根がタンテイの才がないから悪賢い犯人はつかまらない。彼がまだ生れないうちにこの怪事件が起ったのは下曾我村の慶事であった。
 轢断された屍体は首と胴と両脚とがバラバラになって翌朝発見された。轢断した汽車の運転手から報告がなかったから、何時の汽車にやられたのか、電話もない時世のことで、それを調べるだけでもヤッカイなことである。とにかくバラバラの屍体のころげている方向によって、下りの汽車がひいたことだけは分っている。下りの夜汽車は国府津発午後七時十分という神戸行が一ツ。そのあと貨車が一度通っているだけだ。
 調査の結果、神戸行の客車の方だということが車輪の血シブキで分ったが、この運転手は非常に臆病な男で、いつ轢いたか、知らぬ存ぜぬで押し通してしまった。ガタッという大きなショックに、見習いのカマタキの少年が、ハッと運転手をふりむいて、
「なにか、ひきましたぜ」
 ときくと、運転手は言下に強く否定したが、その顔はまッ蒼だった。それから神戸へ着くまでというもの、少年がプラットホームへ一足おりると、
「オイ。どこへ行く?」
 ときいて、少年が便所へ行けば彼も一しょに行き、決して一人だけ取り残されないように必死につとめる様子であったという。そして当局の取調べにも、徹頭徹尾知らぬ存ぜぬ、気がつきませぬ、で押し通した。彼の臆病は有名だったし、彼に罪があるわけでもないから、それで通った。これも運転手君同様物を言わぬが車輪にハッキリ証拠がある。そこを汽車が通るのは午後七時二十分だ。日がくれて四十分くらいしかたたない時刻である。そこは踏切とちがって人家からも道路からも離れていて、まちがって轢かれるのは腑に落ちないところがあった。
 死んでいる男はこの村の人間ではなかった。式根楼という小田原の遊女屋のオヤジである。五十がらみのデップリふとった大男で、昔は素人相撲の大関をとった力自慢。幕末までは十手捕縄をあずかるヤクザ、俗に二足のワラジをはくという田舎にありがちなボスの一人である。
「式根楼のガマ六と云えば小田原の憎まれ者だが、俗に目から鼻へぬけるという悪智恵のはたらく奴。汽車にはねとばされる不覚者でもないし、自殺するようなウブな奴ではない。第一、この村へなんの用
前へ 次へ
全29ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング