れば、第一号を突きとめるのは不可能ではなかろうが、その名が喧伝されていないのは、その手口の発見が教祖の名にかなうほど卓抜なものと認定されないせいかも知れない。なるほど、そう云えば、遠い国から志を立ててケゴンの滝や三原山へ身を投げに行く人はあるが、鉄道自殺の方はその土地に有り合せだから、これで間に合せようという性質のもので、汽車の通らぬ山奥の人が、オレはどうしても鉄路を枕に死にたいと云ってハルバルでかける性質のものではないらしい。
 現代人は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライである。もっとも、自殺する人間は昔も今も変りなく存在したのだが、自殺しない人間の趣味として、現代は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライというわけで、ケゴンの滝や三原山だと遺書もあるし飛びこむところを見た人もいるから、いかに自殺ギライの昔の人でも、これを自殺でないとは云えない。ところが鉄路の場合だと、うッかり汽車にひかれた、という。ふだんボンヤリしてる奴だから、とうとう汽車にひかれやがった、ということになる。
 誰も鉄道自殺というような概念を持たない時代に、鉄道自殺を偽装した殺人事件が起った。ちょッと妙な話のようだが、調べてみれば、その必然性はあった。――そのタネあかしをしてしまうと話にならない。しかし、鉄道自殺を偽装した殺人事件としては、これが日本最古のものであろう。
 轢死体のあった場所は、昔の東海道線、国府津《こうづ》と松田の中間。今の下曾我のあたりだ。そのころは下曾我という駅はなかった。今の東海道線小田原、熱海、沼津間ははるか後日に開通したもので、昭和の初期はまだ国府津から松田、御殿場と、富士山麓を大まわりしていたものだ。
 この下曾我というところは、今では小さな駅があって、国府津駅の次である。曾我五郎十郎ゆかりの地。戦後は尾崎一雄先生がこの地で病を養っている。彼の先祖伝来のふるさとである。病気で出歩けないし酒ものめないから、ラジオをきき雑誌をよみ、居ながらにして間に合うものの中にアラはないかと耳目をといでいる。
 これもタンテイと云うのであろう。居ながらにして敵のアラを見破るのだからタンテイであるが、彼は本来浮浪を性とする人間で、早慶戦のラジオをきくのは彼の生れつきの仕事ではない。彼はいくつになってもラジオ応援歌の中にまじりこんでるシャガレ声の一ツなのである。万やむを得ず一室にこもって耳目をとい
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