なくて、そこに妻のミネが住んでる。あとは台所と便所があるだけで、湯殿もない。
 なるほど玄関がいらないわけだ。お客の来たのを見たことがない。この六年間に三度か四度は隣にお客があるらしいな、と思われるようなことがあった程度である。
 左近は米・ミソ・醤油の類は全部自分の居間に置く。去年、倉三の女房お清が死ぬまでは、お清が左近の身の廻りの世話をやって、妻のミネは一切夫の生活に無関係である。食事の支度にかかるには、お清が左近の居間へ米やミソをもらいにくると、左近が一々米やミソの量をはかって釜やナべに入れてやる。オカズも左近の指図通りに買ってきて作る。出来たものを左近が検査した上で、ミネに御飯と漬物だけとり分けて与えるが、料理は一ツもやらない。もっとも彼が食べる料理も実にまずしいもので、イワシとか、ニシンとか、ツクダニ、煮豆というもの。
「美食は愚者の夢である」
 というのが左近の説であった。つまり、美味は空腹の所産であるのに、美食の実在を信じるのはバカ者が夢を見ているにすぎん、というのである。一理はあるかも知れん。なるほど彼らの神君家康の思想でもあるらしいが、左近の日常を家康が賞讃するかどう
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