と、志道軒には全ての事情が察せられたのである。この男は自分に貸してくれる金だと思って、喜び勇んで持参したものにきまっている。左近はフンとも云わずに受けとって、それを直ちに他の二人に、彼の目の前で分け与えたのである。
 幸平のムザンな顔もさることながら、それに相対するものとして左近の薄笑いを考えると、それは人間のものでもなければ、鬼のものですらもない。
 二十五年ぶりに老父を訪れたときに、いきなり一万円貸してやろうと云いだした時、父の顔には悪病にかかった薄笑いがついていて、それをはぐと、下には死んだ顔、青い死神の顔があるような気がした。その顔と今日の顔とが結びついているのだ。
 常友や自分に金をかしたのは、常友と自分に金を貸すことが目的ではなく、幸平にそれを貸さずに、彼の目の前で他の二人に分ち与えるのが目的だったのである。
 左近が自分に一万円貸そうと云ったとき、彼が薄笑いを浮べて見ていたのは、この日の瞬間の幸平の顔だったのだ。
 志道軒は幸平の顔ばかりでなく、彼の実母ミネの顔も見た。それはやや時をへて後のことであったが、うちひしがれても、うちひしがれても、怒りの逆上するものがこみあげて
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