与をすると云い、一子久吉をつれて参れとあるから、志道軒こそは勘当をうけたとは云え、左近の嫡男である。よしんば自分の過去には香《かんば》しからぬ歴史があっても、一子久吉はまぎれもない水野家の嫡流、当然家をつぐべきはこの子供だ。フトコロの一万円ぐらい返しても、その何倍、何十倍という財宝が本日ころがりこむだろう、と胸算用をしながら到着するに相違ない。
 そこで左近は志道軒から一万円をうけとって、証文を返してやる。それから久吉の頭をなでてやったりしながら、志道軒に向って、
「その方はオレの長男ではあるが、勘当をつけた身であるから、後をつぐことはできない。しかし貴様の長男は、当然の嫡流で、わが後をつぐものはこの者だ。よってその方の長男たる常友にこの一万円を与える。これがオレの全財産だ」
 こう云って一万円を常友に与えるが、これにまた条件がある。
「常友が当家の嫡流であることはこのオレがその事実を承知しているが、表向きはよその戸籍の人間だから、その戸籍を訂正するまではこの一万円はお前にはやれぬ。それまではお前の弟の久吉に預けておく。お前が戸籍を訂正しないうちに万が一のことがあれば、弟の久吉が当家をつぐことになる。とにかくお前が当家の戸籍に返るまで、この一万円を久吉に預けて、その久吉の身柄は一万円ごとオレが当家に、このオレの室内に当分預っておくことにする。これで当家の相続問題と財産の分配はすんだが、本日は歴代の当主にとって一番大事な相続者がきまった日だから、オレにとってはこれほど目出たい日はない。特別に酒肴をだすから、今夕は存分に酩酊して、一同当家に一泊するがよかろう」
 そこで用意の酒肴をとりだして一同にふるまう。ここに意外にも最も当が外れたのは志道軒ムラクモであろう。若いころのふとした出来心、イタズラ心の所産で、常友が自分の子のような気は毛頭しないばかりでなく、生れた時から倉三の倅で、倉三のウチの畳の上で生れたガキではないか。オレの子と知っているのは内輪の四人五人だけで、親類縁者でもオレのオトシダネとは知らないのが普通だ。これがオレの嫡男とは迷惑な話。実にどうも思いもよらぬ。月にムラクモ。どうもオレの名が悪いや。しかし、彼奴《あいつ》が水野家の戸籍の人間になる前に万が一のことがあれば、久吉がオレの嫡男、代って当家をつぐ嫡流はこれだと言ったな。一思いに彼奴をバラしてしまえば、当家の財産は久吉のもの、つまりオレの物だ。老いぼれ狸は白ッぱくれて当家の財産はこの一万円だけだなどと云っているが、オレは昔この目で見て知っている。もっと大財産がある筈だし、爪で火をともすようなケチンボーがその財産を一文たりとも減らしている筈はない。老いぼれが死んでみれば分ることだが、とにかく、常友の奴が水野の戸籍の人間になる前に万が一にしてしまえばいいわけだ。なに、オレの実子だなどと笑わせるな。オレはあんなバカな子供を生んだ覚えはないな。こッちがわが子とは思わないのに、わが子と称する怪物は尚のこと万が一にした方が清々としてよろしいようなものだ。
 志道軒はこう考える。酒の酔いにつれて益々殺意がたかぶるにきまっている。
 左近は一万円と久吉をつれて自分の部屋へひきこもる。四名の男と一名の女が酔っ払って一室にのこる。この夜、この機会を失えば、実の兄弟、父子といえども、再び一室に宿泊するはおろかなこと、たまたま同席するたった十分間の機会があるかどうかも疑わしい。
 左近は夢中にのびあがって倉三の耳に益々口を近づけて、手の障子をかたく張りまわして、
「ナマズと出前持は八千円のことで酔えば酔うほど気が気じゃないぞ。その八千円はナマズのフトコロにあるが、明朝までには出前持に七千八百五十円貸すか貸さぬかきめなければならんな。出前持はその金を借りなければ牢屋へ入れられるからこれは一生の大事だからな。ミネにしてみれば、二人の子供のどちらにもいいようにしてやりたいが、自分がその金を盗んだフリをして井戸へでも飛びこむかなア。タイコモチと女郎屋を殺してしまえば、二人の子供によいかも知れんが、久吉がオレと一しょに別室にいては一度にカタがつかなくてこまる。タイコモチは自分の倅の女郎屋を万が一にしてしまえばオレのものだと思いつのる一方だから頭に血がのぼって心臓が早鐘をうつようになる。そのとき」
 左近はまた、たまりかねてクツクツ忍び笑いをしはじめた。さすがの倉三もここに至って、まさにミイラになったように怖しさに身動きができなくなってしまった。
 左近は己れに最も血の近い五名の骨肉が盗み、殺し、自殺する動機をつくり機会を与えて、それを見物し、結果いかんと全身亢奮に狂っているのだ。人でもなければ、鬼も遠く及ばない。彼はもはや最も親しい者どもが血で血を洗い、慾に狂い、憎しみにもえて、殺し合うのを見て酔う
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