が終ってから、あと三ヶ日だけタダで泊めてやるから、三ヶ日のうちに荷物の整理をつけて立ち去るがよい。その三ヶ日はもはや奉公人ではないからウチの用はしなくともよい。さて、最後に一とッ走りしてもらおう」
 と、倉三を走らせて、志道軒、正司、幸平、常友のところへやり、倉三が立ち去る日の午すぎに当日財産を分与するからと参集を命じた。志道軒と常友は当日約束の貸金元利とりそろえて持参のこと、いずれも、心得ましたという返事があった。志道軒も常友も営業は格別のこともないが、まア順調のようであった。倉三が立ち戻って、承知しましたという一同の返事を伝えると、左近はニヤリと実に卑しげな笑みをもらして、にわかに抜き足さし足、自分の部屋へ泥棒にはいるようなカッコウで歩きながらチョイ/\とふりかえりつつ手まねきで倉三をよぶ。倉三がやむなく中へはいると、自分は一番奥の壁にピッタリひッついて尚もしきりに手まねきで自分の前まで呼びよせて、「シイー」口に指を当てて沈黙を示し、膝と膝をピッタリつき合わせて尚も無限ににじり寄りたげに、そして倉三の上体にからんで這い登るように延びあがって、倉三の耳もとに口をよせて尚、手で障子をつくり、
「お前はその朝ヒマをとって出かけるから見ることが出来ないから、面白いことを教えてやる。財産を分けてやるというが、実は誰も一文にもならない。おまけに銘々が憎み合って仲がわるくなるだけだ」
 左近はそこまで云うと、たまりかねてクックッと忍び笑いをもらすのだった。
 幸平は五年前に公金で株を買って穴をあけ、当《あて》にしていた左近からの借金は目の前で人のフトコロへ飛び去ってしまい、まもなく公金横領が発覚してしまった。亡父の遺産を全部売り払っても数千円の穴がのこり、ミネが然るべき筋へお百度をふみ、母の慈愛が実をむすんで、とにかく表沙汰にならずにすんだ。五年後に実父から財産分与があることになっているから、そのとき残額およびに当日までの利子をつけて支払う。そういう一札をいれて、銀行の方はクビになった。その後はソバ屋の出前持に落ちぶれて辛くも糊口をしのいでいた。
 兄の正司も三十となり、なんとかして嫁をもらって一戸をたて、自分の店も持ちたいと思うが、最初の主家が没落したために、その後の奉公は次々とうまくいかず、まだ住み込みの平職人で、間借りして独立の生計をたてるのもオボツカなく、店をひらくどころか嫁をもらう資力すらも見込みがない有様であった。そのために元々陰鬱な性格が益々暗くひねくれて無口となり動作が重い。二十一二の若造がいっぱし高給をもらって面白おかしく暮しているのに、彼は女中や小僧どもにもナマズなどと渾名でよばれて、ちょッと目をむくが、どうすることもできない。立腹して暴力をふるい、店をしくじって路頭に迷ったことも再度あって、今では我慢がカンジンと思うようになった。彼がヒゲをたくわえたのも主人の訓戒をうけたからで、腹の立つときはヒゲに手を当てて自分の齢を考えるように、その訓戒をまもってヒゲに手を当てて大過なきを得ているが、そのおかげでナマズなどと呼ばれもする。
 左近は常友が返済する八千円を幸平の公金横領の穴ウメには与えずに、兄の正司に与えるツモリであった。ただしそれには次の誓約書が必要である。正司はその八千円から弟の公金横領の穴ウメに要する金額を貸し与える。弟は兄と談合の上二十年なり三十年なりの月賦によって借金を返済する。この約を守らなければ正司は八千円の所有者とはなり得ない。
 ところが幸平が穴ウメに要する金は五ヶ年の元利七千八百五十円ほどになっている。それを弟に貸し与えると、彼の手にのこるのはたった百五十円にすぎない。せっかく八千円の財産をもらっても、百五十円だけ握って、あとは捨てるようなものだ。三十の年配になってもたった一部屋の城主にもなれずナマズヒゲに手を当てて小僧や女中の嘲弄に胸をさすらなければならぬ正司の煩悶は尽きるところを知らぬであろう。
 さてこの借金を兄に返済する段になると、月に十円の大金を支払っても六十五年もかかる。ソバ屋の出前持の給金は、住みこみ月額三円五十銭というから、月に五十銭か、せいぜい一円の支払い能力しかなく、実に元金の返済だけでも六百五十年を要するのである。
 幸平はこの七千八百五十円をわが物としなければ、ついに法の裁きをうけて牢舎にこめられ、世間の相手にされなくなって暗い一生をいつも葬式のようにヒソヒソと歩いて送らなければならなくなる。是が非でも、これをわが物としなければならないのである。
 骨肉を分けた実の兄弟がこの問題をめぐってどのような結果に相成るか、左近の興はつきるところがない。
 さて一方、志道軒は命によって不足分を諸方の借金でようやく間に合わせた一万円をフトコロに、一子久吉をつれて到着する。本夕財産の分
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