ッとすると左近の顔は死んでいるのかも知れない。あの薄笑いをはいでみると、左近の顔の死相がハッキリとして、そっくり死神の顔かも知れない。薄笑いはその上にひッついて、影を落したように、ジッとしているように見える。なんという病気なのだかとても見当はつけられないが、その薄笑いが彼の満身にジッとそそがれて、その冷さが満身にかゝっているのである。
 志道軒は油のような暗いモヤがたちこめた夕暮れの墓場に坐っているような気がした。あの人間は誰だろう? あの人間の膝の下にも、自分の膝の下にも草が生えているように思われる。あの人間はオレに何を告白させようというのだろうか。それから、どうしようというのだろうか。志道軒はその薄笑いで首をしめられるような気がした。彼は必死にその薄笑いに目をすえて、
「そう大それた慾ではございませんが、一万円もあれば、一流地に待合、カッポウ旅館のようなものをやってみとうございます。お宝がありさえすれば、モウケの確かな商売はあるのですが、目のきく者にはお宝が授かりません」
「一万円、かしてやろう」
 薄笑いが、そう言った。いったい、それが、言葉というものなのだろうか。その言葉にも病気があるようだ。死にかけているような病気がある。
「五年目に返せるならかしてやる」
「それは必ず返します」
 志道軒は何かにひきこまれるように、とッさに叫んでいた。必死であった。彼はうろうろと春江の顔をさがして、彼女にも何か頼めということを必死の目顔で訴えようとすると、驚いたことには、春江はピタリと坐って、三ツ指をついて、薄笑いの方に向って、伏目がちではあるが、ジッと気息を沈めて相対している。春江も草むらの上に坐っているとしか思われない。春江にも病気がのりうつッているように見えた。春江! もうちょッとで彼は叫び声をたてそうであった。
 すると春江は静かな声で、
「一万円拝借できますれば、子々孫々安穏に暮すことができましょう。主人も今では落ちつきまして、後生を願い、静かな余生をたのしみたいと申すような殊勝な心に傾いているようでございます。しがない暮しはしておりますが、物分りのよい世話好きなどと多少は人様にも信用され、人柄を見こんで目をかけて下さるお客様もおいおいつくように見うけられます。開業さえいたしますれば当日から相当に繁昌いたそうと思われますので、五年で元利の返済はむつかしいこととも
前へ 次へ
全25ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング