いていたが、三日目に秩父の自宅へ戻って行った。
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ちょうどその頃は薩長軍が江戸をさして攻めのぼってきた時であった。山ちかい辺地とても、流言のざわめき、軍靴の恐怖はたちこめている。農民とても、安閑としてはいられない気持であるが、特に金持の豪農は掠奪の恐怖に苦しんだ。津右衛門が死んで一ヶ月ほどたって、上野寛永寺にたてこもった幕府軍が敗走し、戦火が次第に関東から奥州へと延びる気配になったころ、父の兆久と兄の天鬼が三十五日の回向かたがた現れて、
「どうだ。ここも迫ッつけ戦場になるかも知れんし、よしんば戦場にならなくとも、敗走する兵隊や押込み強盗の群れが入りこんでくるにきまっている。そのときになって慌てて逃げても、もうはじまらぬ。津右衛門殿なきあとは、女手と幼児ばかり。屈強な豪の男がいなくては、このドサクサに、人の目をつけやすい土蔵の金箱や品物を無事守り通せるものではない。私が一日のうちに二百人三百人の人足を集めて、この家の品物全部たった一夜で荷造りしてやるから、今のうちに私のところへ引移ってくるがよい。あの山奥の秩父だけはたった一ツの安全地帯だから。この家はいずれ泥
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