天鬼はもがきつつ、うごめいた。虚空をつかみ、タタミをむしりつつ、一寸二寸、うごめき進んだ。時々、碁盤の方向を指そうとして、苦しさに虚空をつかんだ。
「こんなか!」
「そう」千代は呆れ果てて、いい加減に返事した。必死の天鬼は妹の返事の寸分のユルミも見のがさなかった。
「コラ。ハッキリ、本当のことを云え。本当にこんなか」
「ほんとに、そうよ」
 千代の驚きは絶大であった。必死の一念とは云え、天鬼はまるで津右衛門の死を見ていたように同じ死の苦悶を再現しているではないか。津右衛門には言葉がなかったが、天鬼にはもどかしさに狂ったような言葉があった。そして張り裂けるような狂気の喚きが、それ自体、まさに死なんとしつつある人の叫喚でなくてなんだろう。まさに天鬼その人の、もがき、のたうつ断末魔の姿であった。
 しかし千代は気がついて、ゾッとした。天鬼は憑かれたように津右衛門の断末魔を模倣しつつ、チラと碁盤を指さす瞬間に、実に全部の魂魄を目にこめて指の方向をはかっているのだ。その先に何があるか。彼の全ての精魂がそこにかかっているのである。
 兄と父はそれからの二日間、庭園を、庭園の外の山の中をブラブラ歩
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