棒どもに住み荒され跡形もなくこわされてしまうだろうが、ただ捨てるのが心残りならば、秩父の私の別邸とこの屋敷を取換えてやろうと思うが」
 言葉巧みにこうすすめる。千代とても戦禍の不安がないではない。津右衛門なきあと、使用人を別にして、この家族には全く男手がなかった。彼の先妻には二子があったが、いずれも女で、先妻がそうであったように二人の娘も肺病であった。姉の生乃《いくの》は病気を承知でムリに嫁してすぐ死んだ。妹の玉乃は今年十九。寝たきりではないが、寝つくことが多く、痩せ細り、蒼ざめもつつブラブラしている。
 千代には東太という一男が生れ、津右衛門の喜びは殊のほかであったが、東太はまだ三ツ、手足まといにはなっても、男手の中に数えることはできやしない。
 こういう頼りない家族であるから、千代とても避けうるならば難を避けたいのは山々であるが、今や、こうして父の説得をきくうちに、ふと思いついたことがあった。ハハア、さては、と気がついた。
 千頭家には妙な家憲があるのだ。この家憲は世間の人々にも知られているが、世間の噂は元々|当《あて》にならないものだ。けれども、千代は千頭家に嫁して、津右衛門から
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