がなくちゃアこう身を入れてやれるものじゃアない。その癖《へき》に感じて、ここに誰からも訊きだすことができなかった一ツの書附を進ぜようじゃないか」
 天鬼は笑いながら、懐中から、一枚の半紙をとりだした。それをひろげて、甚八の前へ押しやったのを見ると、アッと顔の色を変えたのは千代であった。
 これぞ亡夫の先々代が系図に書き加えた謎の文字ではないか。仏像の秘密の胎内に隠された系図は、今では千代のほかにその所在を知る者はないはずだ。悪智恵が達者な天鬼とはいえ、いつのまに系図の所在を見破り、書き写したものであろうか。思えば悲しい千代である。彼女はすでにこの謎の文字を思いだすことも忘れていた。東太成人せば、と、その日をタノシミにすることができたのは、思えば短い年月であった。東太が生れもつかぬ低能児と分っては、亡夫が死に際に暗示した謎をとき、家伝の言葉を東太に伝える希望も根気もありやせぬ。いっそ東太を殺して自分も死んでしまいたい日夜の悲しい思い。謎の文字を思いだすさえ、身をきられる苦しみ。全てを忘れて東太と共にバカでありたい千代であった。
 しかし、いつのまに天鬼がこれを見破ったのだろう。そんな様子
前へ 次へ
全67ページ中42ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング