人差指だけを突きだしはしないであろう。津右衛門は尚もいくたびか同じことをくりかえした。
 人の執念は怖しいもので最後に碁盤を指したとき、はげしくケイレンして、その儘の姿勢で息をひきとったのである。苦しみだして十分間ほどの短時間であった。野辺の送りも滞りなくすんだ。参会の人々が退去して近親だけ残ってから、千代の実父の安倍兆久とその長男、千代の兄の天鬼は千代をよんで、
「先晩きいた話では、津右衛門殿は息をひきとるまで同じ方向を指さそうとされたそうだが、ひとつ、その部屋へ案内して、その方向を見せてもらいたいものだ」
「ごらんになっても、その方向には何もございませんよ」
「江戸の碁打の甚八とやらを指し示していたのとは違うか」
「いえ、そうではございません。のたうつうちに、にじりすすんで方向が変りましたが、お苦しみのうちにも、もがき、もがきして、いつも碁盤の方を指さそうとなさるようでしたから」
「それはフシギだな」
 父と兄は千代の案内で座敷へ赴き、碁盤をおき、先日通りに物を配置した。配置が終って津右衛門が倒れてもがきつづけた方角から指の示す方を見ると、隣り座敷との間の唐紙から次第に庭園の方を指すようになる。庭園といっても、かなり広いが、そう手数のかかった庭園ではなく、別に死者が指し示すにふさわしい何物もない。兄の天鬼はしきりに庭を眺めていたが、訝しそうに、首をうちふった。
「どうも、フシギだな」
 彼は碁盤にちょッと手をかけて持ち上げてみたが、
「フシギだなア。ここで、こう倒れたのだな。こんなものかな」
 彼は死者の姿を再現した。
「オイ。これでいいのか」
「ええ。そう」
「オイ。いい加減を云うな。まちがっていたらそう云え。この場所へ、こんなカッコウか」
 千代は呆れて兄を見つめた。なんて真剣な顔だろう。もどかしさに、噛みつくようだ。目は殺気立ってギラギラ狂気めいた光りをたたえている。そして、死にかけた人間のもがく様子を本当に再現しようとしているのだ。
「およしなさいよ。そんなバカなマネ」
「バカッ!」
 天鬼はたまりかねて爆発した。なんという焦躁だろう。もどかしさに狂い立っているのだ。千代は呆れて、無言のまま兄の姿勢をエビ型に曲げてやった。わざと邪険に手足を折るように押しまげても、彼は妹の手の位置を必死にはかって、余念なく、ただ死者の正しい姿勢を再現するに夢中であった。

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