に抱きついた男は、実直のウスノロで通っている金太という三十三のこの船中では年配の水夫であった。誰も彼がこんなことをしようなどとは考えられないことだったのだ。
 今村はそれを見終って戦慄した。それは金太の仕業に対しての戦慄ではなくて、金太が手に抑えたものの至上な魅力に対する戦慄であった。彼の目に、彼の心に、全身に蛇が宿ったのだ。
 翌日から正式の作業がはじまった。八十吉と清松は交代で潜るのである。畑中も潜水船に乗りこみ、十五名のポンプ押しが交替でポンプを押すのを指揮するのだ。万一のことがあっては困るから、大和や五十嵐や金太はポンプ押しから除外されたが、五十嵐は執拗にポンプ押しを志願した。それはポンプ押しの小船の上に二人の女が居るためであった。
 彼らが予期した通り、この海底は巨大な白蝶貝の無限の棲息地帯であった。黒蝶貝も多かった。八十吉と清松は、木曜島の潜水夫等が一日に三ツしか見つけることができないような老貝を、それ以上の物を含めて、潜水中のあらゆる時間、殆ど探す手間もなく採ることができるのである。夕方までに採った貝は数を算えて一夜をすごし、翌日の夜明けを待って、各人の見ている前で、畑中
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