これにはハナヤという小女が係りである。まるで銘々旅館に居るようなものである。ちゃんとレッキとした大食堂があるのに、殆ど使うことがない。しかし尤もな理由もある。家族の起居がそれぞれ時間が違っていて、一堂に会して食事をするわけにはいかないのだ。未亡人のお目覚めが最もおそくて、九時ごろ。で、未亡人が洗顔して朝のお化粧を終ったころ、咲子はその居間の外の廊下に坐って、
「お母さま、お早うございます。お姉さま、お早うございます」
と挨拶する。一日に、その時だけしか、顔を合せないような日も多い。用があると、女中がよびにくるが、又、未亡人が自分で咲子のところへ来ることもある。キク子はそんなことは殆どない。しかし二人とも悪い人ではない。風来坊の咲子を憎んだり、さげすんだりしていることはないのである。咲子はそれを有り難くは思うが、どうも、打ちとけられない。母、姉という肉親感はもつことができなかった。
正司と咲子は恋愛結婚であッた。明治には珍しい話で、おまけに咲子は小さな牛肉屋の娘である。女中が手不足で、自分で客に給仕するような小さな店だ。
まだ当時大学生の正司と何も知らずに恋仲になり、あんまり飛びは
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